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社長のコラム 「しゃコラ」

匿名の群衆

2021-07-13
「インターネットの世界は恐ろしいところだ」あなたは、こう思ったことはないだろうか。

誰かが何か過ちを犯したと公になった途端、そこに匿名の非難の書き込みが押し寄せる。この風潮の激化は、スポーツ選手、芸能人、政治家などを巡る最近の痛ましい騒動によく表れている。

当初は当事者へのバッシングが吹き荒れたかと思えば、謝罪会見を開いたのを境に、今度は所属する団体や事務所、その関係者に非難が殺到する。そしてまた、すぐに攻撃の風向きが変わる。あるいは、飽きられる。この目まぐるしさ、この軽さは一体何なのだろう。

誰かに向けて非難の言葉を発することには責任が伴う、という当然のことが忘れられているかのようだ。もちろん、心の中で何かを思うだけで責められるべきではない。家や居酒屋で何気に話のネタにすることもあるだろう。

しかしそれと、たとえば匿名というカタチで反論できない相手を責め立てる、というのはわけが違う。昨今では、そうした言葉での発散はネット上でより気楽に行われ、不特定多数の人に直接届くようになった。また、自分では書きこまない人も、「リツイート」や「いいね」等のボタンを押して拡散に加担しているのであれば、やっていることは本質的には大差ないのかもしれない。

ある人物や集団が実際に何か過ちを犯したのなら、また、釈明の際に嘘があったのなら、当然、相応の非難に値する。けれどもそれは「世間」や「世論」というひどく曖昧なカテゴリーに隠れた匿名の群衆が、寄ってたかって罵声を浴びせかける、というかたちでなされるべきではないと思う。自分自身のことは度外視して、安全なところから他人の過ちを糾弾し、正義を振りかざすという行為が横行すべきではない。

しかし、このような事態がいま常態化している。その一翼を担っている人々は、自分自身が引き受けられないような人物像(決して過ちを犯さない、道徳的に完璧な人物)を基準に、他人を私的に制裁している。しかも、強い公権力も持たぬ者に対して、覆面をかぶり群衆に紛れながら…。

誰だって「あなたも同じ目に遭うかもしれない」と言われれば、「自分はそんな、目を付けられるようなヘマはしない」と返すだろう。しかし、本当にそうであるためには、ひたすら目立たず、権力のある人や声の大きな人に沿う言動をし続けるしかない。実際、そのような態度の蔓延がいま、極めて閉塞的な社会を招きつつある。人々が強大な者に対し萎縮し、順応し、同化し、特定個人の排除を繰り返す社会だ。

言葉が人をつくり、社会を形成する。だからこそ私たちは、自分を見つめ、自分で責任をとりうる言葉を探すべきで、安易に誰かをたたいてさげすむ言葉に頼るべきではない。必要なことは私たち自身が不完全でもろく、迷い立ち止まり、しばしば過ちを犯す存在であることを受け止めつつ、その中でなお倫理や理想を語る言葉を紡いでいくことだ。そうでなければ、私たちの暮らすこの社会は、私たちにとってどんどん生きづらいものになってしまいそうだ。


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