明治19年(1886年)呉港が軍港(第二海軍区)に指定された。
明治22年(1889年)、半農半漁の平穏な村落だった呉に、海軍鎮守府の開庁と市街地の築調に伴い、多くの商人が一攫千金を夢見て集団移住した。その頃、当社の前身である「海田商店」は、当時の元町(現在の本通2丁目)に店を開いた。
その後の呉は、海軍工廠の設置とともに軍港として急速に発展。日清戦争,日露戦争と海外派兵の出撃基地を担い、明治35年(1902年)には市制を施行し、人口も飛躍的に増え隆盛を極めた。
さらにその後の第1次世界大戦は、呉市に未曾有の繁栄とともに、人口の急増などから種々のひずみをもたらし、大正7年(1918年)8月には米騒動にみまわれることとなった。
その後の呉は、海軍工廠の設置とともに軍港として急速に発展。日清戦争,日露戦争と海外派兵の出撃基地を担い、明治35年(1902年)には市制を施行し、人口も飛躍的に増え隆盛を極めた。
さらにその後の第1次世界大戦は、呉市に未曾有の繁栄とともに、人口の急増などから種々のひずみをもたらし、大正7年(1918年)8月には米騒動にみまわれることとなった。
昭和10年(1935年)には「国防と産業大博覧会」が呉で盛大に開催された。
その後、日中戦争は泥沼化。昭和13年(1938年) には「国家総動員法」の施行によって、戦争遂行のため人も物も国家統制下に置かれ、国民生活はどんどん制限されていくこととなる。
その後、日中戦争は泥沼化。昭和13年(1938年) には「国家総動員法」の施行によって、戦争遂行のため人も物も国家統制下に置かれ、国民生活はどんどん制限されていくこととなる。
そして、軍需局の強い要請を受けて当時の「三八商店(厚井初太郎本店)」、「海田商店」など呉市内の卸売人有志が合同して当時の呉市堺川通2丁目3番地の中通市場(現在の中通1丁目)に『呉乾物株式会社』を設立(資本金5万円)。
まさに国家優先の時代となり、統制がより強化される中、統制を合理化するため軍需省が設置され、「軍需会社法」制定によって民需産業の整理統合がさらに進められた。
しかし、平成13年(2001年)9月11日、米国にて同時多発テロが勃発し、世界を取り巻く状況が大きく変わる。
平成15年(2003年)、「環境と事業活動の調和」を目指して策定した環境方針に基づき、環境保全活動に本格的に取り組む。
平成17年(2005年)11月22日、公式ホームページを開設。
平成19年(2007年)4月、地球温暖化対策推進国民運動「チームマイナス6%」へ参加。同年より環境対策車両の「天然ガスCNGトラック」の導入を開始。
平成23年(2011年)に起きた「東北地方太平洋沖地震」では、被災地の救援と復興のためにCSR活動スローガン「出来ることからはじめよう」を合言葉に、社員一同一丸となって、出来る限りの支援活動に参加。
平成29年(2017年)4月1日、今後の物流の合理化・高速化への対応を踏まえ、本社横の空きスペースを物流倉庫として新たに契約し、一括運用を開始。
平成30年(2018年)7月、西日本豪雨災害により呉市は鉄道や幹線道路が寸断されるなど、大きな被害を受ける。そんな中でも得意先への安定供給に社員一丸全力であたる。
同年10月、節目の会社設立80周年を迎え、 会社全体で「職業生活の充実の確保」を目指す新たな取り組み“ニコニコ大作戦”をスタート。
平成30年(2018年)7月、西日本豪雨災害により呉市は鉄道や幹線道路が寸断されるなど、大きな被害を受ける。そんな中でも得意先への安定供給に社員一丸全力であたる。
同年10月、節目の会社設立80周年を迎え、 会社全体で「職業生活の充実の確保」を目指す新たな取り組み“ニコニコ大作戦”をスタート。
令和元年(2019年)5月9日、公式ホームページをスマートフォンやタブレットに対応した新しいフォーマットにリニューアル。同年10月、持続可能な社会を目指す「SDGsへの取り組み」を発表。
令和2年(2020年)、新型コロナウイルスの感染拡大が、世界経済を直撃し、地域経済も影響を受ける中、徹底した感染防止策を施し、安定的な食品流通に全力であたる。
令和3年(2021年)、Webサイトをより安全にご利用いただくため、全てのページにおいて常時SSL化(httpsアドレス暗号化)に対応。併せて公式ホームページを全面リニューアル。
令和4年(2022年)、冷凍食品の取り扱い増加に伴い、プレハブ冷凍庫増設。
令和5年(2023年)10月、会社設立85周年を迎える。
明治、大正、昭和、平成、そして令和へと、激動の時代を呉の街とともに歩み、現在では、自衛隊、病院、学校給食等の納入業者として実績を積み重ねる一方、呉市内外及び、近郊島しょ部の一般小売業者、外食店等に卸売を営み、堅実な経営を心掛け豊かな食文化の実現に重要な役割を担っている。