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社長のコラム 「しゃコラ」

ノムさんのボヤキが聞きたい

2020-03-28
2020年2月11日、日本球界を代表する知将、野村克也さんが、この世を去った。その本葬儀をプロ野球の開幕前に執り行う予定が、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、さらに延期されることが昨日決まったようだ。
 
「ノムさん」と親しまれ、27年間、第一線で戦い続け、戦後初の3冠王にもなった強打の名捕手。ID野球と呼ばれた「考える野球」で、弱小球団を栄光へ導いた名監督。
 
ノムさんが亡くなった翌日のスポーツ新聞は全紙が1面で急死を報じ、同時にその偉業を讃えていた。米国紙「ニューヨーク・タイムズ」も異例の追悼特集を掲載。「戦後の日本球界の大黒柱」と賞賛していた。クイックモーション、投手の分業制の確立、ギャンブルスタートなど、日本球界にさまざまなものをもたらし、明らかに近代野球の生みの親といえる。
 
また、野村再生工場を経て、くすぶっていた才能を再び開花させた選手は枚挙にいとまがない。ID野球を学び、野球というスポーツの本質や奥深さを理解した愛弟子たちは、今や球界全体に拡散し監督として指揮を執っている。選手として、監督として、評論家として、さまざまな側面から日本球界を大きく発展させた大功労者だ。
 
現役時代から巨人の長嶋茂雄、王貞治と自らを比較して「俺は人の見ていない所にひっそりと咲く月見草」と、自らを月見草に例えたのは有名な話。引退後は、講演や解説で「ボヤキ」と呼ばれた辛口の批評や数々の名言を織り交ぜて野球論を語ってくれた。
 
オリンピックも延期になり、今まさにニッポン列島が、コロナウイルスに振り回されている中、ついにプロ野球選手にも感染者が出てしまった。感染拡大に歯止めがかからず、開幕日すら決まらない今の状況を鑑みて、ノムさんなら何とボヤくだろう。
 
だが、愛のあるボヤキを、私たちはもう聞くことはできない。残された愛弟子たちは、ノムさん亡き後の新たな道を進んでいく。ノムさんの教えをそれぞれのやり方で進化させていく使命を持ちながら。野球を愛し抜いた名将に改めて感謝。そして、心からの哀悼の意を表したい。
 
唯一無二の野球人だったノムさんも夫人が亡くなった当時「これからどう生きていけばいいのか。男の弱さを感じています。」と悲しみを口にしていた…。あれから約2年。久しぶりの再会を果たしたふたりは天国でも仲睦まじい夫婦となっていることだろう。
 
天国でまたサッチーとお幸せに。


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