試練の先にある希望
2018-07-18
平成30年7月6日、西日本を中心に広い範囲で、豪雨による河川の氾濫や洪水、土砂災害などの被害が発生し、多くの犠牲者が出た。
その豪雨災害で明らかになったのは、私たちが潜在的な危機を内包した社会で暮らしている、ということだ。しかもその危機は都市機能障害というかたちで一気に爆発した。行政、情報、交通、物流、経済が次々に崩壊していくことで、大きな危機がうねりのように現れたのだ。
一方で災害についての報道が進むにつれて、次第に私たちは「希望」という言葉を見聞きするようになる。過酷な状況の中で、被災者や関係者の多くが何らかの「希望」を必要としてくるのか。
作家の村上龍氏は、東日本大震災後に大地震と津波は多くの生命と財産を奪っていったが、一方でニッポン人は再び「希望」の種をまこうとしている、というようなことを言っていたのを思い出した。
危機の被災地にまかれつつある「希望」の種は、今後どうすれば実を結ぶのだろう。過酷すぎる状況では、むしろ最初から途方もない「希望」を持つのを控えることも大事かもしれない。
「希望」には、人と人のつながりが重要な役割を果たす。ボランティアなどの支援者たちが現地に入り、さまざまな交流が生まれている。このような事態になった時、被災地を支えるのは、人々の連帯、結び合いというものであることは明らかだ。破滅を食い止めるのは、地域のコミュニティーの強さや多くの人たちの連携なのである。
連日、酷暑の中、全国から駆けつけ、撤去作業を手伝う多くのボランティアには頭が下がる。今やボランティアは被災地とって、なくてはならない存在となっている。
私たちの社会は、安定した戦後システムが崩れていくこの20年の間に、大きく変わり始めていた。他者のために生きることの中に人間らしさを感じる人が若者を中心に増えている。それがボランティアやNPOの時代をつくり出し、コミュニティーをつくり直そうとする行動として、全国的に広がっていた。各地で始まっていた人々の結び合いが、今回の災害で、広域的に発揮されている。結び合いは、点で存在するうちは国を動かせないが、広域的に実現すれば、次の社会の姿が見えてくるだろう。
ここにこそ、復旧、復興の可能性があると思う。私たちが目指さなければならないのは、国のシステムによる画一的な再建ではなく、農村、漁村、都市部など風土にあった支え合う地域社会の再建ではないだろうか。
いつまでも今の状況が続くわけではない。「希望」は、試練や困難をくぐり抜けた先にきっとあるはずだ。被災者には、それを信じて生活していただきたい。

あとがき
このたびの西日本豪雨災害により、お亡くなりになられた方々へ謹んで哀悼の意を表し、ご遺族の皆さまにお悔やみを申し上げますとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
今もなお予断を許さない状況が続いております。被災された方々が安全を確保し、これ以上の被害が広がらないことをただただ祈るばかりです。この苦難を乗り越え、一日も早く復興されますよう、心からお祈り申し上げます。





