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社長のコラム 「しゃコラ」

履歴に記載されている内容は、発表時点の内容をそのまま記載しております。
ご覧になった時点で一部内容が、現在とは異なる場合もありますので、あらかじめご了承ください。

昔のアルバムと今の私

2020-09-28
あれもしたい、これもしたい、ああなりたい、こんな暮らしがしたい…。
知識も経験も乏しかった10代の頃、希望というか理想というか、夢がいっぱいありました。まだ現実の壁というやつにもブチ当たっていないので、頭の中は常にお花畑のお花が満開という、まさにドリーミン状態。

とにかく何を想像するにも、いちいちロマンチック気取りといいますか、まぁクサいことをいろいろ考えるわけです。まわりには実際にそれを実行に移すヤツもいましたけどね。

例えば大きな花束もって彼女と待ち合わせ、海沿いの眺めのいいレストランで食事。それから海岸を歩きながら告白して、な~んてクサいストーリーを思い描いたり…。将来は家をロフト風にしてニューヨークの作家(例えばアンディー・ウォーホル)の絵なんかを玄関に飾る。そして、そんな家で毎日、自分で挽いたコーヒー豆でコーヒーをいれながら、お気に入りのレコード(例えばブライアン・フェリー)がかかる中、朝を迎えるとか。それはもう勝手な妄想が膨らむ膨らむ…。

ところが、それなりに年を取って現実を知っていく中で、そんなのケッ!となる時がやってくるのです。

ダメだ、ダサい、こんなの自己満だ。しかし、その考えもまた蒼いのです。私ぐらいの年になるとそう思います。いいじゃないの、夢見がちで。あの頃に戻れるもんなら戻りたいよ。男は夢見てこそ男。妄想出来てなんぼ。いくら年をとっても頭のお花畑は枯らさずに、死ぬまで走っていきたいものです。

さて、少々前フリが長くなりましたが、今でこそ私は仕事柄「落ち着いた人」みたいなイメージ(自分でいうのもなんですが…)を持たれていますが、若い頃は結構生意気で尖っていたんだなぁと先日、しみじみ気がつきました。

コロナ禍の影響でステイホーム期間中に、昔のアルバムを見てみたんです。すると全然覚えていない写真があったり、今見るとヒヤヒヤの連続でした。当時はKYで周りが見えていなかったり、自分を大きく見せたかったんでしょうね。アルバム見ながら、自分に自分でツッコミ通しでした。

私は東京にいた10台後半から20代半ばくらいの頃が一番生意気だったと思います。それこそお花畑のお花が満開のドリーミン状態。

そんな私も今ではいいオヤジになりました。年を取ると頑固になる人もいますが私は全く逆。怒らなくなったし、どんどん冷静に臆病になってきた気がします。昔の反動なのか、周りのことを気にしすぎるくらい気にするようになりました。先日友人から「物分かりがよくなったねぇ~」と言われ、なんか複雑な気分。

いいんだか悪いんだか、わかりませんけど…。ハハハ…。

でも冗談じゃありません!浮かれポンチでお調子者、私は基本的に今も昔も、何も変わってませんから!(笑)





監視カメラが捉える社会

2020-08-21
いつもなら速足で通り過ぎる道を、周囲の風景を眺めながら、ゆっくりと歩いてみる。すると、いろいろなものが見えてくる。

例えば監視カメラ。あらためて探してみると知らないうちに、ずいぶん増えている。物陰に上手に隠されたカメラも少なくない。「テロ警戒中」の表示とセットになったカメラだってある。でも政府の要人が住んでるわけでもないこんな田舎町で、いったいどこの誰が、何の目的で、テロを画策するというのだろう。

オフィス街を歩いてみると、大きなビルのほとんどの正面玄関には、必ずといっていいほど「特別警戒実施中」と記されたサインボードが置かれている。これも今ではよくある光景だ。

でもこれもまた、今、いったい何に対して、何のために、それほどの警戒態勢をとらなければいけないのか、その理由がどうしてもわからない。

監視カメラはオウムの事件以降、そして、「特別警戒実施中」「テロ警戒中」などの表示は、2001年の米国同時多発テロ以降に増え始めた。つまり、慢性で恒常なのに特別警戒。明らかな論理矛盾。でもその矛盾を矛盾として社会全体が感知できなくなっているのではないだろうか。

そして、最近の新型コロナウイルス感染に怯えた世界。これこそ最大限の「警戒」を必要としている。

今や私たちの日常を覗き見てきたはずの監視カメラに映っているのは、コロナ禍によって変化した生活様式。コロナウィルスそのものは映らなくても、それによって変化させられた社会を監視カメラはちゃんと捉えている。

そこには街を人が歩いていなかったり、歩いていてもマスクをしていたり、開いているはずのお店が閉まっている、といった、今までと違う日常の風景。

誰も望んでいないコロナの時代。人々の営みはそれでも続いていく。自粛と分断と日本型社会で広がる独自のアフターコロナの社会を、監視カメラはこれからも捉え続けることだろう。

アップデートするのは今だ!

2020-07-27
世界はいまだコロナ禍の真っただ中にいて、我々の企業活動は大きな曲がり角に来ている。非日常の緊急事態はとりあえず終わったが、以前と全く同じ状態には戻らない。それどころか、急速に変化し続けた社会によって、我々は急速な変化を求められている。コロナに怯える世界では、これまでの常識に基づいた旧来のビジネスモデルは通用しない。危機的な状況下、構造的な変化によって、多くのニッポン企業は岐路に立たされている。

コロナ禍の影響を受けて、社員を一元的に管理するニッポン的な社会に風穴があき、多様な働き方が必修となった。だが、そんな状況の中でも、ニッポン企業は以前にも増して「連帯感」や「決まり事」を重要視する傾向にある。しかし、「これまでと一緒」ではダメで、個々のポテンシャルを生かす方向に、思い切ってかじを切るべきではないだろうか。

また、現場ではテレワーク,リモートワークが日常生活のベースになるだろう。今後、技術的な面でも、さらに利便性が高まるのは間違いない。だが、こうした取り組みだけで高い価値を生み出し続けられるのか、疑問に思う経営者は少なくないだろう。人の考えを変えたり、深い話をしたりするには、言葉だけではなく、共に同じ時間を過ごすことが重要で、オンラインで代替できるものではない。人間は社会性の動物だ。そのことにみんな鈍感になっている。人と人の〝距離感〟が変化し、人が集い、語り合うことが困難な今だからこそ、無性にそう思う…。

今は誰もが、瞬間的にネットで盛り上がることしか考えてない。社会を変えるにはすごく地味な営みが必要だということを忘れている。経営者は今、短期的な正しさ、道徳的な正しさにがんじがらめで、歴史の蓄積を現在の観点から丸ごと〝間違い〟だと切り捨てないといけなくなっている。そうでない語り方、経営者としての在り方を作れないか、私はずっと模索している。

〝新しい日常〟なるものがまわりから強制され、物理的な距離を意識したまま、世界は変わりながら動いていく。国を超えて権利や自由の放棄に至りがちな今こそ、我々はこの変化を自らの背骨として、社会の変え方の変え方、動かし方の動かし方を考えなくてはならない。

世界の常識をアップデートするのは今なのだ。

何だチミはってかぁ?そうですぅ!私が変なおじさんです

2020-06-22
巷では「おばさん」になりたくないという女性は多いし、最近では男性も「おじさん」になることを嫌うようになってきている。

しかし、おばさん・おじさんを嫌う世の中は生きにくいものだと、おじさんである私は思うのだ。そもそもこうやって自分のことをおじさんと言うだけで「そんなことないですよ」と慰められたり、「おじさんって言うと本当にそうなっちゃうわよ」と叱られたりすることも…。本当に面倒くさい世の中になってしまったものだ。

私はそんなふうにおとしめられている「おじさん」こそ、今の子供たちに文化や知識を伝えることが出来る貴重な存在だと信じている。

私が小学生のころ、とびきり好きだった大人は、手品と冗談の上手な近所のおじさんだった。結婚もしてないし仕事もできなさそうだったけど、おじさんは近所の子供たちに人気だった。そばにいるだけでとても楽しかったし、「こんな大人になってもいいんだな」とどこかで安心していたのだとも思う。子供にとって、こういう大人の存在は重要なのだ。

実際、私が小学生の時にボーリング場で補導されて、おまわりさんにつかまった時、助けてくれたのもそんなおじさんだった。今では考えられないような話だけど、そんな変なおじさんは確かにいた。

ちょっと強引だが、変なおじさんといえば志村けんさん。亡くなられて改めてその偉大さに敬服している。
コロナ禍もいったん落ち着き、緊急事態宣言も解除されたが、残念ながら志村けんさんは帰ってこない。追悼番組や再放送を観るにつけ、いまだに亡くなった実感がわかないままでいる。今観てもその普遍的な存在の「尊さ」に正直なところ圧倒されてしまった。

「大人からは評判がわるいけど、子供には家では許されない自由を与える存在」として、子供たちに多くの影響を与えてきたことがよくわかる。ちょっとだけ、周囲の子供たちに悪いことを教えたり、反面教師になったり、時には子供たちの逃げ場になれるような存在。

志村けんさんが演じる人物にはどこか哀愁がある。そして、なによりリアリティーがある。そのリアリティーがどこから来るかといえば、それはその演じるキャラクターそのものを、人生を、愛しているからなのだろう。バカバカしさの中にも、その人の人生までもが見えてくる哀愁のおじさんだ。

だが、残念ながらあんなドタバタコントはコロナ後には成立しないのかもしれない。

でも、こんな世の中だからこそ「変なおじさん」のような存在が必要なんだと、おじさんの私は思うのだ…。

母が生きた意味

2020-05-11
昨晩まで元気だった母が突然脳梗塞で倒れる。実家へ立ち寄った姉が発見し、救急車を呼び集中治療室へ。姉から連絡をもらった私は、急いで妻と病院へ駆けつけた。
それから3週間経ったある日、母は私と姉に見守られ静かに旅だった…。

〝 肉親を見送る 〟

ちゃんと考えもしなかったことが突然目の前の光景として突きつけられた。
最愛の人を亡くした時、人は何を思い、その後をどう生きていけばいいのか。私たちは常にそのことを問われ続けている気がする。
あの日から3年が経ち、私自身やっと客観的に当時を振り返ることが出来るようになった。

誰だって、遅かれ早かれ家族との死別を経験する。別れは例外なく人の心に深い感情をかきたてる。しかし、人それぞれ、家族との関わり方が千差万別であるように、その想いも人それぞれ。

遺品を片付けながら母の歩んできた人生を後追いする。その人生をたどることで、それまでの幸せだった様々な日常の出来事が、母の遺品や忘れ難い記憶とともによみがえる。それはあたかも、人の死をいずれ避けがたい普遍的なものとして、母の死を受け入れようと自らに言い聞かせた私自身の心の軌跡とも読み取れる。

身近な日常には記録にも記憶にも残らない死が数知れずある。が、それぞれの死の背後にはその死と同じだけの物語があるはずだ。母の遺品を整理するにつけ、語られることのない、母の物語に思いをめぐらさずにはいられない。

残念ながら、母の日でもあった昨日、予定していた法要をコロナウイルスの件もあり、家族で相談して取りやめとした。

改めて思うに、母は息を引き取る間際、最期にいったい何を思ったのか…。
端的に言えば、「幸せな人生だった」と、思ってくれたのだろうか…。
そのことが私の脳裏から今も離れない。

私はこれから、自分が幸せに生きることで母が生きた意味を見いだそうと思う。
そうすることで見えてくるものがきっとあるはずだ。
母の描いた絵手紙
社長のコラム 「しゃコラ」
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