本文へ移動

社長のコラム 「しゃコラ」

映画『男たちの大和』

2006-04-24
映画『男たちの大和』は大和ブームに乗って公開以来、大変な観客動員が続いてる。再度、呉市内の映画館での上映期間を延長したとのこと。
呉市内の数ヶ所でもロケが行われ、公開前から地元では、かなり話題となっていた。
昨年、呉の「海軍墓地」や「大和ミュージアム」でのロケが行われた時に、呉市役所観光振興課(呉地域フィルムコミッション)の配慮で東映撮影所のロケ隊を訪問したのがご縁となり、試写会の招待を受けた。
公開前の昨年11月12日に「大和ミュージアム」で行われたその試写会には、監督を始め俳優たちも顔をそろえた盛大なものだった。
 
舞台挨拶のときに紹介された、生き残った戦艦大和の元乗組員の方達のことが今でも忘れられない。身体こそ、年とともに不自由になっても、遠くを見つめるその眼だけは当時と変わらず毅然としている。「自分自身の過去を意識せざるを得ない年齢に達した者」の心の表出だろうと私はその時感じた。この60年もの間、何を見てどのような思いで、過してこられたのだろうか。すぐ前の席にいる、そんな元乗組員の老人たちに、私は声をかけてあげる事もできずにいた…。
 
彼らの生涯は、大和抜きでは決して語ることができないのだ。一言で言い表すなら、不遇であったとしか適当な言葉が見当たらない。あの戦争はいったい何だったのか…。
これから先、戦争をどう伝えていくべきなのか。映画の上映期間が終わっても単なるブームで終わらせてはいけない。短い人生を生き切った若者たちの、断ち切られた"想い"と命懸けの"愛"を元乗組員の言葉として語り継いでもらいたいと願うのだが…。彼らに残された時間は、そう長くはないのだ。
 
その日、試写を見終えたときに感じた複雑な思いの理由が何なのか、私には思い当たるものがなかった…。今となって思えば、それは今を生きる私たちが、生きている証としての生を、真に自己のものとして実感できる機会が少なくなっているせいなのかもしれない。「生きる」とはどういうことなのかを問い続けた人たち、それぞれの人間が自らの生を賭けて問う、激動の時代の姿を刻んでいる。おそらく死の恐怖を体験した者の生に対する根源的な希求とは、『人間性の回復』を目指すものなのだろう。
戦争を「人間らしい生の営みを奪う巨大な社会機構」ととらえ、その対極に「愛」を描き、「愛すらも踏みにじってしまう巨大な破壊力」が戦争にはあることを私たちに訴えてくる。
 
戦後60年経って、改めて戦争という狂気の中で犠牲になった方達のご冥福を祈らずにはいられません。


社長のコラム 「しゃコラ」
最新の記事
人気の記事
過去の記事
呉乾物株式会社
〒737-0831
広島県呉市光町15-6
呉市地方卸売市場
TEL.0823-22-2372
FAX.0823-25-8501
TOPへ戻る