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社長のコラム 「しゃコラ」

令和の米騒動

2025-06-17
備蓄米をどう出すか、売り場はどんな状況か、町の米屋さんは、生産農家は…と、連日メディアもお米の行く末について報じていた。そして、ついに備蓄米放出。だが、「令和の米騒動」は収まる気配はない。明確な定義もなく「令和の米騒動」と呼ぶことに多少の居心地の悪さも感じる。
連日トップニュース扱いでお米について報道するマスコミもどうかと思う。いったい5kgで2,000円程度の古古古米を行列に並んでまで買うことに、どんな意味があるというのか。

一部で「米を買い占める」ような動きが話題になることもあったが、暴動や略奪などは起きていないので、昔の「米騒動」とは根本的に性質が異なる。だから「令和の米騒動」という表現に違和感を抱くのはまともな感覚。
安易に米騒動とか言って話題化することへの嫌悪感や、実態にそぐわない煽り的な言葉遣いへのモヤモヤ感は、むしろ健全と言える。

しかし、お米以外の食品も値上げラッシュで、こちらも なかなか収まりそうにない。なのになぜお米ばかりが取り上げられるのだろう。お米が4,000円、5,000円になったからといってなんてことはない。ほかにも値上げ率の激しい食品をほっておいて、お米だけとは、どうにも納得がいかない!もっと食品業界全体を見てもらいたいと思うのは私だけだろうか。

今回の米騒動から得られる最大の教訓は、社会変化への適応力の重要性だろう。政府が結果として備蓄米放出に至ったように、同じ方法を継続するのではなく、既存の枠組みにとらわれず、変化への柔軟な適応力が求められている。今の時代、個人・企業・政府などあらゆるレベルで、生き残り、前進していくために必要な行動力だ。

確かにニッポン人にとってお米は特別なもの。言わずと知れたニッポンの主食だし、本来食料としてだけでなく、衣食住すべてに関わっているものだった。時代によってさまざまな役割を与えられ、通貨の代わりにもなった。そしてそもそもお米は神様の食事であるという考えがあり、正月には鏡餅を飾るし、お米が原材料の日本酒は「御神酒」と称したり、長年にわたって特別な意味を持っていた。

だから昔の人は、よく言ったものだ。「お米を粗末にしたらバチが当たるよ!」と…。うちのばあちゃんなんかは、「ご飯を残したら目がつぶれるよ!」とも…。 現代でもこれらの言葉は、お米のありがたみを忘れないための教訓として使われていて、破棄される「食品ロス」なんてもってのほか。

誤解のないように言っておきますが、私は子供のころからお茶碗に米粒ひとつ残した事はありませんから。笑


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