ニッポンは何で生きていけばいいのか
2025-05-28
かつて戦後のニッポンをグイグイ引っ張り、何百万、何千万もの国民を養ってきた基幹産業が今や見る影もない。時代は流れ、「日本製」の文字からかつての輝きはすっかり失われてしまった。今、最前線の現場ではいったい、何が起きているのだろう。
海外自動車メーカーに比べニッポンの自動車各社はEV化に後れを取っている。製鉄業界では全国の高炉の休止や廃止が相次ぎ、施設の老朽化も問題化。中韓メーカーに敗れた液晶は家電崩壊の象徴だ。
でも、これらには、共通した根本的な原因があるように思う。それは、ニッポンじゃなければ作れないと思っていたものが、いつの間にかよその国でも作れるようになっていたという厳しい現実から、目を背けてきたことじゃないだろうか。
「わが社の高品質な製品はマネできない」という自信に裏付けされたものだった。たしかにそれは、しばらくの間は正しかった。だが、あっという間に他の国に完璧に模倣され市場を奪われてしまった…。
これがリスクを取って新しいビジネスや付加価値を生み出そうとしなかった企業の末路なのだろうか。
自動車、鉄、家電に限らず、この30年というもの、ニッポンのメーカーの経営者は赤字を防ぐことばかりを考えてきた。経営陣が新しいことに本気でチャレンジしたり、覚悟を持って生まれ変わろうとせず、「延命」することだけに汲々とするしか余裕がなかったのだ。バブル崩壊によって後ろ向きになってしまったマインドからすると、しょうがないことかもしれない。
21世紀に入って25年が経ち、いよいよかつてのこの国の成功体験は意味を失いつつある。国際競争にさらされ、鉄と自動車、そして家電という屋台骨を失ったとき、果たしてこの国はまだ、自分の足で立っていられるのだろうか。
このままなら自動車も鉄も家電もなくなってしまう。10年後に待ち受けるのは荒涼と空洞化という戦後のニッポン人が経験したことのない殺伐とした時代かもしれない。
それじゃぁ、ニッポンは何で生きていけばいいのか。
まぁ、人ごとの様に私があれこれ言うのは簡単だけど、勝負を避けて後手後手の思考を続けている限り、ニッポンの産業が復活する日は来ないと思う。
今、私たちは、世界経済を揺さぶる予測不可能なトランプ・ショックという、世界史の新しい時代の始まりを目撃している。痛みと苦難と不正義がさらに悪化するという新しい歴史は、ニッポンをどこへ導くのだろう…。





