昭和という時代
2025-03-05
2025年は「昭和100年」にあたる年。これは私たちニッポン人にとって何を意味するのだろう。
昭和史が同時代史から歴史へと移行していく、あるいは昭和史が次の世代によって解釈される時代に入ったということなのだろうか。
「昭和」は、もう終わったものだけど、すぐそこにあったものでもある。「昭和」という100年間は、色んな意味で人間の本質をむき出しにした時代。ひとつの終わった日常とはいえ、私たちのカラダで体感できるような時代だった。だが、昭和の日常は令和の時代ではNGばかり…。いわば何でもありだった「昭和」の時代。
では改めて「昭和100年」を考える意義は何か。自分の人生の〝歴史的背景〟でもある「昭和」を再認識することは、自分自身を再発見することにもつながるはずだ。
でも私はこの国が臭いものにフタをすることを繰り返してきたため、残念ながら昭和はまだ終わっていないと感じてきた。そして、それは同時に「昭和」を生きた自分もその責任を負っているということかもしれない、と…。ポスト昭和に進むには、まずそのことに決着をつけなければならない。自分が加害者だったかもしれないという想像力によって向き合うことで、ひもときたかった。だが、それはそう簡単なことではない。
「昭和」は、単なる過去のノスタルジーではなく、現代や未来に向けて価値ある教訓を提供してくれている。戦後になって経済が安定しコミュニティの絆が強かった「昭和」の社会構造は、間違いなく私たちに〝安心感〟や〝温もり〟を与えてくれたと思う。
いずれにしても「昭和」という時代は、国内の動きだけで収まる課題はなく、世界と軌をひとつにせざるを得ない。つまり、ニッポンを主語とした年表の記述だけでは見えてこない歴史、まさにグローバルな地図の絶え間ない躍動を考慮する必要性を感じるのだ。
「昭和」は、戦争と苦悩、高度経済成長と社会の変革、文化と芸術の興隆など、様々な波乱と挑戦に満ちた時代。多くの重要な出来事や人物がその歴史を彩っている。ピカソでも、ハリウッド映画でも、ロックでもいい、そういう作品と改めてじっくり接してみると、その作品に奥行きが生まれ、同時に歴史の記述も生きてくる。
世界各地で戦争が起き、少子化や経済の低迷など、迷走している令和の我々は「昭和」から学ぶことが多いはず。平和と繁栄を願う時代の中で、「昭和」の姿と遺産を忘れずに、新たな時代への希望として胸に秘めていきたい。
どんな時代になっても、この国の人は年号というカテゴリーで時代検証をするのが好きだ。これもひとつの立派なニッポン文化。
そういう意味では「昭和」という時代は、この国の最も重要かつ特別な年号であることは間違いない。
昭和史が同時代史から歴史へと移行していく、あるいは昭和史が次の世代によって解釈される時代に入ったということなのだろうか。
「昭和」は、もう終わったものだけど、すぐそこにあったものでもある。「昭和」という100年間は、色んな意味で人間の本質をむき出しにした時代。ひとつの終わった日常とはいえ、私たちのカラダで体感できるような時代だった。だが、昭和の日常は令和の時代ではNGばかり…。いわば何でもありだった「昭和」の時代。
では改めて「昭和100年」を考える意義は何か。自分の人生の〝歴史的背景〟でもある「昭和」を再認識することは、自分自身を再発見することにもつながるはずだ。
でも私はこの国が臭いものにフタをすることを繰り返してきたため、残念ながら昭和はまだ終わっていないと感じてきた。そして、それは同時に「昭和」を生きた自分もその責任を負っているということかもしれない、と…。ポスト昭和に進むには、まずそのことに決着をつけなければならない。自分が加害者だったかもしれないという想像力によって向き合うことで、ひもときたかった。だが、それはそう簡単なことではない。
「昭和」は、単なる過去のノスタルジーではなく、現代や未来に向けて価値ある教訓を提供してくれている。戦後になって経済が安定しコミュニティの絆が強かった「昭和」の社会構造は、間違いなく私たちに〝安心感〟や〝温もり〟を与えてくれたと思う。
いずれにしても「昭和」という時代は、国内の動きだけで収まる課題はなく、世界と軌をひとつにせざるを得ない。つまり、ニッポンを主語とした年表の記述だけでは見えてこない歴史、まさにグローバルな地図の絶え間ない躍動を考慮する必要性を感じるのだ。
「昭和」は、戦争と苦悩、高度経済成長と社会の変革、文化と芸術の興隆など、様々な波乱と挑戦に満ちた時代。多くの重要な出来事や人物がその歴史を彩っている。ピカソでも、ハリウッド映画でも、ロックでもいい、そういう作品と改めてじっくり接してみると、その作品に奥行きが生まれ、同時に歴史の記述も生きてくる。
世界各地で戦争が起き、少子化や経済の低迷など、迷走している令和の我々は「昭和」から学ぶことが多いはず。平和と繁栄を願う時代の中で、「昭和」の姿と遺産を忘れずに、新たな時代への希望として胸に秘めていきたい。
どんな時代になっても、この国の人は年号というカテゴリーで時代検証をするのが好きだ。これもひとつの立派なニッポン文化。
そういう意味では「昭和」という時代は、この国の最も重要かつ特別な年号であることは間違いない。
