その後をどう生きたか
2024-08-07
今年の8月6日、広島は79回目の「原爆の日」を迎えた。被爆者の高齢化が進む今、全国の被爆者団体が、老いと担い手不足により、将来の展望が描けないでいる苦悩ぶりが浮かび上がる。
「語り継ぐ」活動を終えるべきか、それとも次世代に託すのか…。
ここで歴史に言及する。歴史といっても教科書のような過去についての記述ではなく、無数の人々が生きてきた、その集積のことだ。だとすれば、私たちが生まれたことも、今生きていることも歴史の一部なのだ。そう思い至ったとき、「語り継ぐ」という標語のような言葉が、内実のあるものに変化していく。
「語り継ぐ」という行為は一人ではできない。語る人、聞く人が必要でその両方が揃ってはじめてお互いの気持ちに寄り添う場が生まれる。そこに未来への希望も生まれてくる。しかし、2024年現在、被爆者の平均年齢は85歳を超え、直接被爆者の声を聞けなくなる時代が刻一刻と迫っている。
語る人がいなくなれば、本当の歴史が未来にゆがんで伝わる可能性はないだろうか。違う解釈をされてしまうかもしれない。まだ全部が明らかになってない被爆の実相でもある被爆者がいなくなると、さらに実相が分からなくなる。私たち戦後世代が、被爆者とどうつながっていき、子供や孫の世代に記憶としてどう語り継いでいくのかを考える上でも厳しい現実だ。
また、結局、毎年8月に「盛り上がっては忘れ去られるサイクル」の一環にすぎないのではないか。議論もないまま気分だけが醸成される、お決まりのパターンではないと言い切れる者がいるのか、と。平和祈念式典での様々な意見・提言の多くが「言いっぱなし、聞きっぱなし」で終わり、ほとんど検証されていないと感じた。
戦争という名のもとに死ぬ事を拒みながら死んでいった多くの被爆者たちの苦しみや悲しみは決して消えることはない。なぜこんな悲劇が起こってしまったのか。地球上の同じ人間が殺し合うなんてほんとにばかげたことだ。こんな悲惨な事態になるのに、なぜ今でも核の脅威は去っていないんだ!その答えは、大人である自分にも簡単には出せない…。しかし、人間の心の中には平和を愛する心が多分にあると信じたい。
被爆者一人一人は、途方もない偶然の積み重ねの結果生まれた存在。あの日、ほんの少しの“違い”がその後の運命を決めた。ちょっとの“違い”であり得た別の運命があったかもしれない。被爆者がすべてを受け入れ今日まであの日とどう向き合ってきたのか。言うのも辛く聞くのも辛い、余りにもむごい体験や、志半ばで亡くなった被爆者の無念を他人は物語ることはできても伝えきれるものではない。
生きていることに“後ろめたさ”を抱えてきた被爆者が、自分に残された時間を知りながらも、封印していた記憶や苦しみを一つ一つ言葉にして紡いでいく姿は、語り尽くすより、むしろ語り残すかのようだ。あの日以来、どんな思いで生きてきたか、そこにもっとスポットを当てるべきではないだろうか。「あの日あったこと」も重要だか、被爆者が「その後をどう生きたか」を抜きに壮絶な体験を「語り継ぐ」ことなんかできる訳がない。
改めて被爆者団体が抱えるジレンマの残酷さに言葉を失う。なんとかならないものだろうか…。
「語り継ぐ」活動を終えるべきか、それとも次世代に託すのか…。
ここで歴史に言及する。歴史といっても教科書のような過去についての記述ではなく、無数の人々が生きてきた、その集積のことだ。だとすれば、私たちが生まれたことも、今生きていることも歴史の一部なのだ。そう思い至ったとき、「語り継ぐ」という標語のような言葉が、内実のあるものに変化していく。
「語り継ぐ」という行為は一人ではできない。語る人、聞く人が必要でその両方が揃ってはじめてお互いの気持ちに寄り添う場が生まれる。そこに未来への希望も生まれてくる。しかし、2024年現在、被爆者の平均年齢は85歳を超え、直接被爆者の声を聞けなくなる時代が刻一刻と迫っている。
語る人がいなくなれば、本当の歴史が未来にゆがんで伝わる可能性はないだろうか。違う解釈をされてしまうかもしれない。まだ全部が明らかになってない被爆の実相でもある被爆者がいなくなると、さらに実相が分からなくなる。私たち戦後世代が、被爆者とどうつながっていき、子供や孫の世代に記憶としてどう語り継いでいくのかを考える上でも厳しい現実だ。
また、結局、毎年8月に「盛り上がっては忘れ去られるサイクル」の一環にすぎないのではないか。議論もないまま気分だけが醸成される、お決まりのパターンではないと言い切れる者がいるのか、と。平和祈念式典での様々な意見・提言の多くが「言いっぱなし、聞きっぱなし」で終わり、ほとんど検証されていないと感じた。
戦争という名のもとに死ぬ事を拒みながら死んでいった多くの被爆者たちの苦しみや悲しみは決して消えることはない。なぜこんな悲劇が起こってしまったのか。地球上の同じ人間が殺し合うなんてほんとにばかげたことだ。こんな悲惨な事態になるのに、なぜ今でも核の脅威は去っていないんだ!その答えは、大人である自分にも簡単には出せない…。しかし、人間の心の中には平和を愛する心が多分にあると信じたい。
被爆者一人一人は、途方もない偶然の積み重ねの結果生まれた存在。あの日、ほんの少しの“違い”がその後の運命を決めた。ちょっとの“違い”であり得た別の運命があったかもしれない。被爆者がすべてを受け入れ今日まであの日とどう向き合ってきたのか。言うのも辛く聞くのも辛い、余りにもむごい体験や、志半ばで亡くなった被爆者の無念を他人は物語ることはできても伝えきれるものではない。
生きていることに“後ろめたさ”を抱えてきた被爆者が、自分に残された時間を知りながらも、封印していた記憶や苦しみを一つ一つ言葉にして紡いでいく姿は、語り尽くすより、むしろ語り残すかのようだ。あの日以来、どんな思いで生きてきたか、そこにもっとスポットを当てるべきではないだろうか。「あの日あったこと」も重要だか、被爆者が「その後をどう生きたか」を抜きに壮絶な体験を「語り継ぐ」ことなんかできる訳がない。
改めて被爆者団体が抱えるジレンマの残酷さに言葉を失う。なんとかならないものだろうか…。