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社長のコラム 「しゃコラ」

戦争の向こう側

2022-04-27
今、目を覆うばかりの出来事がウクライナでは、日々起こっている。私たちはそれをどう理解すればいいのだろう…。

強行的で孤独な独裁者、度重なるフェイク報道、…。ウクライナへの武力侵略後、私たちの「ロシア」に対する否定的な認識は、テレビ画面に映し出される極めて限られたアイコンによって強化され、友好関係の締結など想像すらできない。ニッポン政府の目指す北方領土問題の解決など夢のまた夢である。

しかし、国籍が違えど同じ人間であるという当然の認識を、なぜか私たちは今、ロシアに対してだけ失っていないだろうか。独善的な主張が飛び交う分断の時代に、相互理解という方法はないものだろうか。

現代の戦争は単純に武力と武力の衝突ではない。世界はまさに今、SNSによる情報操作やインテリジェンスを駆使したハイブリット戦の実例を見たといっていい。そこでは残虐や悲劇も演出され、正義や勇気もまた演出され、どこまでが実際に起きていることなのか、私たちは判断ができないまま情報の嵐にさらされ、共感や反感といった感情の渦に巻き込まれる。

とはいえ、どんな戦争も国家権力の仕業である以上、どちらが正義ということはなく、私たちは所詮、国家が演出したストーリーに乗せられてどちらかの片棒を担がされているに過ぎない。砲弾の下のウクライナ市民の恐怖を本当に思うなら、あれやこれやと理由をつけて戦争を遂行する双方の国家に対して、どちらか一方への肩入れや制裁ではなく、即時停戦の働きかけによって、世界は一丸となるべきではないだろうか。

しかし、戦争という国家をはじめとした集団の暴挙に対した時、“個人”というのはあまりにも無力だ。「これが運命なのか」と諦めそうにもなる…。でもそれは結果的に追認という形で同時代の私たちの責任放棄にもつながりかねない。

公正な視点が欠けたままの被害状況もいぜんよくわからない中、検証もなく、「あり得る話だ」「そうあっても不思議ではない」「可能性はある」などの短絡的な思考もかえって誤解を招く。

ウクライナの凄惨な光景は、私たちにはある瞬間の停止した歴史の一コマにすぎない。しかし、ウクライナの人々にとっては、まさに戦時下の止まることのない日常の流れなのだ。その苦悩は始まったばかりで、まだ世界にその苦しみが十分に理解されているとはいえない。

世界は今、分断の真っただ中にいる。独裁者は続発する想定外の事態に正常な判断力を失い、ますます禁断の道へと進もうとしている。歴史は繰り返す。いくらテクノロジーが発達しようと、人間の愚かさはそう簡単には変わらない…。
でも、世界を強いものが好き放題できる「無法地帯」にしてはいけない。


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