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社長のコラム 「しゃコラ」

どんな人生かはその人次第

2021-10-25
いつの時代も人が一番興味を抱くのは、他人の人生。

でも、誰であれその人生には、驚きや他人には言えない傷がひとつやふたつあって当たり前。世の中に波乱万丈でない人生などひとつもない。そして、どんな人生かはその人次第…。

私の実家の仏壇の上には先祖の遺影がずらりと並んでいる。いずれも着物姿の白黒写真で、子供のころはみんな同じ顔に見えていた。中学生の頃のある日、祖母が一枚の写真を指差してこっそり教えてくれたのだ。「あのね、このおばあさん(曾祖母)、駆け落ちしたのよ」と…。

いきなりのぶっちゃけトークに、白黒写真が一瞬でカラー写真になったような衝撃を受けた。改めて見直すと、急にひとりひとり違う顔に見えてきて、「みんなそれぞれの人生を一生懸命生きてきたんだなぁ…」と、いとおしくなってきた。これがきっかけで私は写真の背後に興味を抱くようになったのだ。

その後、それまで見向きもしなかった先祖の昔のアルバムをよく見るようになって、家族や親せきに先祖の話をいろいろ教えてもらった。そこには確かに私の先祖たちの楽しそうな日常が記憶されていた。小説で伏線や、行間ににじむ大事なことがあるように、写真には写っている人や風景にひも付けられた厚みがあって、それを知っていると、いつ見ても楽しむことができた。

昔の写真は、当時の多くの人が共有できるものだったのだろう。今と違って昔の写真には一枚一枚それぞれ物語があるように見える。写真を見ていて写っている人の物語が写真とつながった時は、特に面白いと感じた。そんなところが、私が映像より写真のほうを好む理由なのかもしれない。

だが、今や写真はケータイやスマホで簡単に撮れるので、個人の都合に基づいて撮られているような気がしてならない。なによりも「映え」が強調され、だから物語として解釈されるのを拒んでいるようで、共有するのが難しい。

アナログがデジタルに変わり、SNSなどで他人の日常が簡単に垣間見れる現代社会。日々膨大な写真がネット上には溢れている。まぁ、これはこれで意味はあるのだけど…、誰でもどこでも簡単に撮れるようになったことで、昔の写真の概念とはかけ離れてしまった感じがする。

ありのままの日常を映し出している昔の写真の数々。そこには間違いなく当時の人々の日常が物語として記録されている。そして、そこに映っている人々に「今を一生懸命生きていますか?」と、問われているような…、見終わった後も残る何とも言えない不思議感。

その問いに今を生きる私は、胸を張って「ハイ!」と言いきれるのだろうか。

う~ん、正直なところ自信がない…。


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