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社長のコラム 「しゃコラ」

想定外という教訓

2021-03-24
「あの日」から10年。

東日本大震災での地震、津波、そして福島の原発事故は、私たちの想像をはるかに超える衝撃だった。いまだに余震の恐怖に震える人も少なくないだろう。被災した人たちの心には、永遠に消えることのない「あの日」の記憶が残り続けている。
10年たった今でも復興は何も終わっていないのだ。街の復興と心の復興は、同じスピードで進むわけではない。また、被災地とそれ以外の地域では、まるで別々の時計が動いているかのようだ。

東日本大震災は、地震と津波による天災と、人災である原発事故が重なったことで、より大きな悲劇を生み、復興過程も複雑化していった。原発事故さえなければ、普通の暮らしを送っていたはずの人もいる。その人たちのその後の人生は、あの事故によって歯車が大きく狂ってしまった…。それでも多くの人たちが悲しみを胸に刻みつつ、今もたくましく生きている。

「あの日」起きたことは「想定外で、やむを得ない」出来事だったのだろうか?

津波の圧倒的な破壊力の前に、人間はあまりにも無力だった。でも「想定外であり、やむを得なかった…」で簡単に片付けてしまうのは、ちょっと違うんじゃないだろうか…。
こういう議論が震災後の世の中から生まれてきたというのは、ある意味救いじゃないかと思う。そして今、それを考える材料としての時代背景は十分整ったと思う。

「想定にとらわれすぎた」私たちの防災意識の反省すべき点は、「想定にとらわれすぎていた」ことだ。相手は人知の及ばない自然であり、時に大きな振り幅を見せる。そんな中でも、「想定にとらわれることなく」最悪の事態を回避するための最善を尽くすことが求められるのだ。

震災にひきつづく災厄は終わっていない。小さな想定外のうちに、大きな想定外の芽を摘むことを繰り返していくことが大切で、災害時には想定できないことを想定する臨機応変の判断が必要となる。一見、大丈夫そうなときこそ、危険にいち早く気づくような避難判断が生死を分ける。

私たちが震災から学んだのは、「失敗の教訓の上にしか、未来図は描けない」ということ。
震災の記憶が歳月に上書きされ、だんだんと風化していく中、想定外の時代を生きるものとして、肝に銘じたい。



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