食いしん坊万歳
2020-04-25
グルメとか、美食家とか、食いしん坊を表す言葉はたくさんあるけど、私の場合、そんなお上品なものではなく、「ただ食い意地が張っている」。だから、お出かけでの楽しみの第一が『食』であることはいうまでもない。どこへ行っても好き嫌いなく何でもおいしく食べられるし、むしろ「何でも食べてみたい」と言ったほうがぴったりかもしれない。
お出かけして出会う食に対するあくなき好奇心。そこから止めどなく広がっていく想像がこれまた楽しい。画一的だけど便利なファストフードと、時間はかかるけど豊かなスローフード。その間にいる現代人が、しばし立ち止まって食の意味を考えるのに格好のヒントが満載なのだ。
「数字で表すことが出来ない微妙な感覚質」、食においては「あの時食べたあの料理の、何とも言えない味や香りや食感」を意味すると思えばいい。そんな食との出会いが私は大好きだ。
ひょっとしたら、ダイエットなんて人生の最高の楽しみを潰しているだけかもしれません(ちょっと言いすぎか…)。おいしいものは、思う存分食べてお腹を満たすためにあるんです(かなり強引)。
だが、ここのところのコロナ騒動による外出自粛で、お出かけもままならなくなった。さてさて、どう乗り切ればよいのか…。
私たちはコロナウイルスに対して、人と人の接触を減らすことを選択した。巷では、営業自粛や休業、時差出勤やテレワークが増え、街から人影が消えた。もう何が何だかよくわからない。変わって活況を呈しているのはフードデリバリー業界。飲食店から客足が遠のいたことで、デリバリーへと軸足が移ったのだ。
以前から情報感度の高い外食産業の経営者は、デリバリーへと需要が流れる可能性を念頭に、「待っているだけでは、何も始まらない」と経営方針を模索していた。本来なら、5~10年かけて増加していくはずが、コロナで一気に加速。今後はデリバリー中心の飲食店が増えるかもしれない。
自粛によって、食と自らのかかわりを正面から見つめ、食べることは生きることで、生きることは食べることという、生き物にとってごく当たり前の摂理を実感。しかし、先が見えない自粛生活だからといって暗く過ごさなければいけないわけではない。時間がもったいないし、何より、食欲は変わらない(やっぱりここ)。
これから起こる時代の変化を予測し、それに備え、柔軟に対応できれば『コロナ後の世界』でも柔軟に生きていけるはずだ。
そして、どんなにささやかな食でも、かけがえのない幸せと喜びを与えてくれることに、私たちは今こそ感謝しなければならない。
お出かけして出会う食に対するあくなき好奇心。そこから止めどなく広がっていく想像がこれまた楽しい。画一的だけど便利なファストフードと、時間はかかるけど豊かなスローフード。その間にいる現代人が、しばし立ち止まって食の意味を考えるのに格好のヒントが満載なのだ。
「数字で表すことが出来ない微妙な感覚質」、食においては「あの時食べたあの料理の、何とも言えない味や香りや食感」を意味すると思えばいい。そんな食との出会いが私は大好きだ。
ひょっとしたら、ダイエットなんて人生の最高の楽しみを潰しているだけかもしれません(ちょっと言いすぎか…)。おいしいものは、思う存分食べてお腹を満たすためにあるんです(かなり強引)。
だが、ここのところのコロナ騒動による外出自粛で、お出かけもままならなくなった。さてさて、どう乗り切ればよいのか…。
私たちはコロナウイルスに対して、人と人の接触を減らすことを選択した。巷では、営業自粛や休業、時差出勤やテレワークが増え、街から人影が消えた。もう何が何だかよくわからない。変わって活況を呈しているのはフードデリバリー業界。飲食店から客足が遠のいたことで、デリバリーへと軸足が移ったのだ。
以前から情報感度の高い外食産業の経営者は、デリバリーへと需要が流れる可能性を念頭に、「待っているだけでは、何も始まらない」と経営方針を模索していた。本来なら、5~10年かけて増加していくはずが、コロナで一気に加速。今後はデリバリー中心の飲食店が増えるかもしれない。
自粛によって、食と自らのかかわりを正面から見つめ、食べることは生きることで、生きることは食べることという、生き物にとってごく当たり前の摂理を実感。しかし、先が見えない自粛生活だからといって暗く過ごさなければいけないわけではない。時間がもったいないし、何より、食欲は変わらない(やっぱりここ)。
これから起こる時代の変化を予測し、それに備え、柔軟に対応できれば『コロナ後の世界』でも柔軟に生きていけるはずだ。
そして、どんなにささやかな食でも、かけがえのない幸せと喜びを与えてくれることに、私たちは今こそ感謝しなければならない。