がばいばあちゃんの言葉
2007-06-29
スピードと効率が優先されがちな現代、読書はある意味で時間のかかる行為だけれど、書かれた言葉を通してのみ開かれる世界は確かに存在する。
『佐賀のがばいばあちゃん』、はじめて読んだのはいつ頃だろう。その後も続編が次々発売されている。この本の過去も未来も一緒になったような時間の流れが心地よい。五感を開放し、入ってくる風のすべてを受け入れるかのような描写に、日常の出来事や人々の暮らしが細密に浮かび上がる。
「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか」
貧乏でも結構と、ここまで言い切ってしまう潔さ。正しいと信じる主張をしているのなら、他人からどう見られようと良いではないか。また、気楽におせっかいできるのも、風通しのよい地域社会というもの。その一員として、自分の意見をしっかりと持つ。そして、その意見を語ってナンボが大人というものではなかろうか。
結果的には、失敗することはいくらでもある。結果が出る前に人生が終わることだって珍しくはない。しかし、それでも夢や理想に向かって歩み続けることに、人生の意味と輝きがあることをがばいばあちゃんは教えてくれる。
「人間は死ぬまで夢をもて!叶わなくても、しょせん夢だから」
いい言葉だ。できれば私もそんな人生を歩みたい。がばいばあちゃんの言葉は、まるで一つ一つ生きていて、すくっと立っているようだ。心がふっと楽になるような言葉がたくさんあって、それは読者の心の背筋をぴんと伸ばす力がある。
「二股の大根も、切って煮込めば一緒。まがったキュウリも、きざんで塩でもんだら同じこと」
「頭がいい人も、頭が悪い人も、金持ちも、貧乏も、五十年たてば、みーんな五十歳になる」
ほんと・・・そう思う・・・。なのにいつから、結果ばかりを人は追い求めるようになったのだろう。いつから、「勝ち組」とか「負け組」とかいう下品な価値基準に人は縛られるようになったのだろう。いつから、夢や理想に向かおうとする、もしかしたら報われずに終わるかもしれない人生を人は笑うようになったのだろう・・・。
「悲しい話は夜するな。どんなにつらい話も昼すれば、大したことなか」
愛があるから口を出す。目障りなものを排除しようと思って言ってるわけじゃない。
「生きていることが面白い。なりふりかまうより、工夫してみろ」
「人に気づかれんようにやるのが、本当の優しさ、本当の親切」
このテコでも動かぬ一徹さと、人をガッツリと包み込む愛情と知恵。その底力の有無こそが、明るい未来を左右するのではないだろうか。
「笑顔で生きんしゃい!」
人生をまっとうしようとする人間の‘自信’と‘覚悟’が、そこにはある。
がばいばあちゃんのことを笑う人は大勢いるだろう。一生かけて、何を馬鹿やっているんだって。しかし、その人たちは大切なことが分かっていない。何ができたかではなく、何をしようとしたか。どこに着いたかではなく、どこに向かっているかが大切なんだってことが・・・。
人は誰しも、生から死へ至る途上を生きている。人生はプロセスが一番。問題は、どこに向かおうとするかという、自分自身の心のあり方で決まってくる。
がばいばあちゃんの言葉によって、私たちの現在の暮らしに何が欠けているか、きっと気づかされることだろう。