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しゃコラ2019

しゃコラ2019

  • 2019/10/29 異常気象

     

     

    今年もまた、暴風と記録的な豪雨による大規模な自然災害が日本列島を横断。10月12日夜から13日未明にかけて東日本を通過した台風19号は、各地に大きな爪痕を残した。


    もっとも、日常的にゲリラ豪雨も、今では当たり前になった。
    傘を差してもずぶぬれ。あっという間に道路は水浸し。ワイパーも役に立たず、車の運転が怖い。こんな経験も珍しいことではない。


    地球環境の変化から、近年は異常気象が続いている。異常気象には「これくらいなら」というこれまでの経験も通じないように感じる。10月に入り、朝晩は涼しくなったと思うけど、日中は一気に気温が上がり、激しい変化にカラダがついていけない。


    天候に合わせているわけではないだろうが、人間の行うことも激しさを増しているように感じる。


    異常気象の元をたどっていけば、その原因はやはり私たち自身なのだ。「発展」という名のもとに、地球をむしばみ続けた結果が今、こうして表れている。だが、危機的状況にある地球環境を守る取り組みでも、いまだに国際社会の足並みはそろっていないのが現状だ。


    ニッポンの社会でも、地球温暖化への危機感がまだまだ低い。そのことが、知らず知らずのうちに、この重要な問題の先送りに手を貸していることにもなっている。


    いずれにせよ、今はまだ手遅れになっていない。しかし、状況は待ったなしだ。今年や昨年、さらには一昨年の夏の気象から明らかなように、異常気象への対策が早すぎることはないと思う。


    もはや「異常」であることが当たり前になり、新たな「普通」など見つけるべくもない。そして過去のデータに基づく気候予測は成立しなくなっている。なぜなら、そんなものは存在しないからだ。しかも気候が変動した世界での私たちの生活は、ますます過酷な段階に向かいつつある。

    「異常気象が普通気象へ!」

    私たちはこんな世界で生きているのだ…。
     

     

    台風19号で被害を受けた新幹線

     

  • 2019/10/07 お節介な大人の役割

     

     

    子供の頃から大人の世界に憧れ、いつでもどこでも年上の人たちに囲まれて育った私。周りには知らない世界のことを教えてくれるお節介な大人たちがたくさんいました。今でもそんな昔の記憶がべったり残っている。


    高校卒業まで地元で過ごした私は、当時の音楽からファッション、カルチャー、すべてをそんなお兄さん、お姉さんたちから教わった気がします。生意気なことを言っても別に怒ることもなく、街に出れば随分とスマートにおごってくれたり、東京など都会のことを事細かく教えてくれたり、いわゆる可愛がってくれるお節介な大人が周りにたくさんいたもんです。
    そこで教えてもらったことがその後の人生において、どれだけ役に立ったことか…。


    今より景気が良かったからか、それともただそういう気のいい大人が多かったのか。今ではそういうことのできる余裕のある人が減ってるような気がします。これも時代の流れってヤツでしょうか。


    お金がある者は、お金がある者とだけつるみ、可愛がる若者と言ったらオネーちゃんだけ。これじゃぁ、若者はついてこない。世の中はギブ・アンド・テイク、自分が若い頃にしてもらったことは、年を重ねた今こそ新たな世代に同じように返さなければと思うのです。


    仕事や自分のためだけに時間や金を使うのではなく、若いものを可愛がるために使う。そうやって初めて、文化や価値観が世代を超えてつながるんじゃないだろうか。わずらわしいこともあるけど、身近な人々を自分なりに、もう一度、丁寧に見つめてみようと思う。


    でも今の時代、必要以上に若者をそうやって可愛がろうとすると「ウザイ!」と思われてしまうかもしれないので要注意。こちらから積極的に行きすぎると、かえって誤解を招くかも…。私たちとは、育った時代が異なるので、考え方や行動様式に違いが生じるのもしようがないところ。

     

    …ってことは、今の時代でのお節介な大人の役割は、逆にニコニコしながらそっとしておくことなのだろうか。いやいや、なんとも難しい世の中になったものです。

     

     

     

  • 2019/09/19 話せばわかる何事も!

     

    足元で世界的に様々なリスク要因が表明化している。


    国家や地域間のきしみが目立ってきた。経済のグローバル化によって、先進国、新興国、途上国それぞれが「国益」という欲望を誇張させている。


    領土や資源をめぐる緊張、根深い歴史認識の問題、経済格差への不信が、各地で噴出する。国民の不満をそらすため、対外強硬策をとる国も。摩擦や衝突を生み出す各国の「内向き」志向が、少々気にかかる。


    その関係悪化の最たる例が、米国と中国、そして、ニッポンと韓国だ。


    さまざまなきしみが噴出する中、解消の道を人類の共存、持続可能な発展的国際社会へ、協調によって新たな秩序をつくることが、待ったなしの状況にある。どこの国も同じだが、もう過去の枠組みなどは通じない。


    韓国とは戦後最大といわれるほど関係が悪化している今だからこそ、相手の心情を思いやる姿勢を示すことが必要ではないか。自国の「国益」ばかりに目を奪われ、互いを傷つけ合ってると、やがては大きなしっぺ返しをくらうことは目に見えている。私たちが暮らす地球は、すべてがつながっているのだ。


    現実を直視し、不毛な政治的いさかいに陥るのではなく、なぜ互いの戦略的利益を優先できないのだろう。今からでも遅くない、共存の道を探っていかないと。


    今のままでは、どちらも引くに引けないドロ沼状態。現状ではニッポン側の発する言葉は、韓国側にちゃんと届いていない。互いに言い分はあると思うけど、ニッポンとしても、まずは根気よく対話の機会を探るべきだ。


    「話せばわかる何事も!」


    勿論、話が通じる相手であることが前提だけど…。

     

     

     

  • 2019/08/20 ほくろが気になるんです

     

    今年もお盆にお墓参りに行って、ご先祖様に手を合わせひと安心。
    そんな時、決まって昔のことを思い出す…。今年は祖母が教えてくれたほくろのお話。


    私にはほくろがたくさんあって、一番大きいのは首の後ろに、その次に大きいのは首の右側面。それから小さいのが顔にも…。


    祖母は生前、首の後ろは「衣装ぼくろ」、首の右側面は「仕事ぼくろ」、顔にあるのは「泣きぼくろ」と言っていた。衣装ぼくろのある者は、一生着るものに困らない。仕事ぼくろは対人運と金運が良好となり、涙の通り道にある泣きぼくろのある者は、いろいろ苦労が多いとも。


    祖母のことが大好きだった私は、今も折に触れて祖母が教えてくれたことを思い出す。もう何十年も前のことなのに、はっきりと覚えているのだ。


    改めて鏡をのぞくと顔にあるほくろが目に入り、「涙の通り道に…」という言葉が頭をよぎる。「よく言ったもんだ」と妙に感心してしまう。


    ほくろには場所によって、他にもいろんな呼び名があるはずだ。例えば口のほとりにほくろがある人は、絶対「おしゃべりぼくろ」か「食いしん坊ぼくろ」に決まってる。(笑)
    また、鏡をのぞいたら思わずにこっとしたくなるような「幸せぼくろ」ってあるのだろうか。そんなのがあったらいいと思うけど…。いや、あってほしい。小さくても構わないから…。


    この際、自分の顔のほくろは置いといて、周りの人のほくろもこっそりチェック。ほくろは位置によって実に様々な意味があるらしいので、その人の意外な素顔が見えてくるかも。


    でも所詮、ほくろはほくろ。人とのコミュニケーションを図る手段として、活用されることをおススメします。
     

     

  • 2019/07/30 涙の謝罪と告発の先は…

     

     “真実”はどこにあったのか。また事態は一体どこに向かっているのか…。


    連日のワイドショーでの執拗な報道。さまざまな情報が錯綜すること1ヶ月半。
    会社を通さずに反社会的勢力のパーティーに参加し謝礼を受け取っていた「闇営業問題」で宮迫博之さんと田村亮さんが、7月20日、謝罪のゲリラ会見を行った。姿を現した二人は驚くほどやつれ、憔悴していた。


    「詐欺被害に遭われた方々、不快な気持ちにさせてしまい、本当にすみませんでした」と二人は30秒近く頭を下げて謝罪。


    2時間半に及んだ会見では、これまで報じられていなかった空白の1ヶ月半の間の“事実”が、次々と明かされていった。


    「子供が悪いことをして謝ろうとしているのに止めるのは親じゃない」と田村さんは号泣。その涙には不信感、不安、後悔、さまざまな思いが込められていた。


    だが、涙ながらに吉本興行からの圧力を露にすると、彼らに向けられていた批判の矛先は一気に吉本興業へと方向転換したもんだから、さぁ大変。


    これを受けて2日後には、その吉本興行の社長さんが会見を開き、こちらも涙を浮かべながら、5時間以上に亘る弁明を繰り広げたのだった。


    つらい気持ちもわからなくもないが、お笑いを生業とする男たちが、揃いも揃って涙、涙はいかがなものか…。そんでもって、また涙。残念ながら、もはや名物看板舞台もこの際“吉本新悲劇”と改めるしかないんじゃないの。


    だだ、事態はこれですんなり閉幕とはいきそうにもなく、売れっ子芸人の一人、加藤浩次さんが吉本興業の会長と社長のおエライさんに退陣を求めるという、これまた、おエライ態度に。ドタバタ劇は、まだまだ続きそうな気配なのである。


    人気芸人が流した謝罪と告発の涙。果たして、この先、この二人の芸で笑える日は来るのだろうか。
     

     

  • 2019/06/28 無垢な目

     

    今日、娘が1歳の誕生日を迎えた。体重は現在9kgちょっとで生まれた時と比べて3倍以上になっている。どうりで重いわけだ。常に抱っこをせがまれ続け、それに応える妻の姿には、本当に頭が下がる。


    それにしても、あれから1年たったとは早いものだ。当時の娘の写真を見ると、まだ顔つきもはっきりせず、カラダ全体が真っ赤で、まさに“赤ちゃん”の呼び名がぴったりとくる。


    1歳を迎えた今も赤ちゃんではあるのだが、たった1年でこんなにも顔つきや力強さ、姿勢の保ち方、排便の頻度などに日々変化があるものなのかと、腹回り以外とんと変化の見られなくなった私からすると、極めて新鮮に感じられる。


    変化という意味では、娘が生まれてから、ちょっとしたことが私にもあった。出張に行く場合、遠方であれば新幹線や飛行機を利用する機会も多い。移動の間、まとまった時間が得られるため、たまりがちな仕事の処理に充てているのだが、これまで悩まされていたのが赤ちゃんの泣き声だった。


    ところが、娘が生まれてからは全く気にならない。むしろ、ほほえましくさえ思える。状況の変化が人の感じ方に影響を与えるという現実に気づき、正直なところ自分自身でも驚いた。


    また、生まれてからしばらくすると、娘が外界に興味を示し、いろいろなモノを目で追うようになった。その表情をじっくりと観察していると、赤ちゃんの目は、なぜこんなにも奇麗なのだろうかと、いとおしくなる。


    特に、白目の部分は濁りがなく、やや青みがかった白磁をほうふつとさせる。試しに、自分はどうか鏡をのぞき込んでみると、そこには黒目の周りにびっちり毛細血管が浮き出た、疲れたオジサンの顔があり、正直ちょっぴり心が傷ついた…。


    私にだって娘と同じように美しい目をしていた頃があったと思う。しかし、紫外線やパソコン、スマートフォンのブルーライトなどで目へのダメージは溜まる一方で、いつのまにか色眼鏡も装着し、赤ちゃんのように、あるがままに認識できなくなった。


    きっと、今の私には見えないものが、娘の無垢な目にはありありと映っていることだろう。そんな無垢な目をいつまでも大切にしてもらいたいと願う。

     

     

     

     

  • 2019/06/11 同窓会は面白い

     

     

    先日、久しぶりの高校の同窓会に出席した。


    多感な時期を共有した同い年の人間(同級生)というのは、特別な存在だ。卒業後、全く別の場所で暮らしていたとしても、平等に時間は流れ、同じ時代を生き抜いてきたからだ。


    どんなに年を取っても、あのときあの子が好きだったなんて話は、よく交わされる。いや、それなりに年を取り、自分の人生が見渡せるようになったからこそ、自分の原点のような気持ちを掘り起こさずにはいられなくなるのではないだろうか。
    年を重ね、もう一度"出会う"。だから、同窓会は面白い。


    目立たなかった子がキレイになってたり、思いがけないほど出世している人がいたり。利害関係のない昔の仲間だから、悩みも打ち明けられる。互いに年を重ねてきたからこそのいとおしさに触れあえる場だ。


    だが、時間の経過というのは時に恐ろしいもので、人を成長させるだけでなく、自然の摂理で劣化をもたらす。皆それぞれそれに逆らおうとして頑張るわけだが、なかなか勝てない。同窓会だから!ということで気合を入れ過ぎても、それが逆効果になっていることもしばしば。


    体重の増加、髪の毛の減少、化粧の厚塗り、加齢臭を隠すためのきつい香水、プチならまだしも大幅な整形…!?。「えっ?誰?」と二度見するほど、わからないまでの変貌ぶりを見せる人もいる。ましてや当時可愛かったクラスのカワイ子ちゃんが、見る影もない風貌になっていたら、それはもうかなりのショック。


    人生はモロ外見に出る。皆それぞれ、いろいろな時を経てきたんだなとしみじみ感じてしまう瞬間がそこにはある。


    少々くたびれてきた体での、再会の時間の一瞬一瞬が、シビアに嬉しい。だからこそ、生きることの稀有な美しさに触れた気がするのだ。今の自分にとって、ちょうど良い幸せを感じた。


    でも、まだ初々しかった頃の思い出の少年少女たちが、急に大人になって目の前に現れてくるんです。くれぐれも、事前の対処(心の準備)をお忘れなく…(笑)。

     

     

     

  • 2019/05/22 思い描く展開は望めない

     

     

    祝賀ムード一色の中、ついに令和の時代がやってきた。ニッポンの経済力が相対的に低下し、“失われた30年”と揶揄された平成の時代にけりをつけ、新たな未来に胸躍らせている人も多いだろう。


    平成から令和へ改元となって3週間。我々を待っていた令和は、いったいどんな時代になるのか。何がはやるのか。これから発売される商品やサービスに対して、有識者の声から見えてきたのは、平成の常識が通じない、全く新しい世界。


    でも平成という時代の間にも、数多くのヒット商品が生まれたのもまた事実。


    カセットテープ、ブラウン管テレビ、電話ボックス・・・。平成元年といえば、まだまだこれらが現役だった時代。それからわずか30年の間に、インターネットが勃興し、それが携帯電話と結びつき、スマートフォンへと昇華した。ハイブリットが街にあふれ、ひいきのJリーグチームを応援し、誰もがファストファッションをまとう。これらもすべて昭和にはなかった光景だ。こんな平成の30年間をだれが予想できただろう。


    これから令和のニッポンがどうあるべきか、そのためには平成がどんな時代だったのかを振り返りながら考える必要があるのかもしれない。思うに平成とは“さまざまな社会問題に直面し、何をするにも海外から遅れ、安易に海外の真似をした為、中途半端に終わった時代”だったのではないか。昭和で果たせなかったことを、結局平成でもできなかった…。例えば令和の時代になっても私たちニッポン人は“戦後”という言葉を使い続けることになるのだろうか。


    令和がどんな時代になるのか。やはり今、予想するには無理がある。はっきりと言えることは、私たちが思い描くような展開は望めないということ。


    これから先は急速なデジタル革命によって運転技術や病理診断など人工知能(AI)が人間より優れている部分がどんどん広がる社会が待っている。すばらしい社会と思える半面、人間としての存在意義が問われる社会とも言える。強烈な技術進歩と人間らしさとの共生が新しい時代の歩き方になるだろう。


    たまには立ち止まりながら、平成とは違って令和では物質よりも精神的な充足を見つけていく時代になってほしいと願う。


     

     

     

  • 2019/04/19 こんにちは令和、さようなら平成

     

    新年度がスタートした4月1日、ニッポン人の多くが注目していた新元号が発表された。

     

    その瞬間をテレビの前で、スマホの画面越しに、街頭の大型ビジョンを見上げて、多くの国民が固唾をのんで見守っていた。


    「こんにちは令和、さようなら平成!」


    予定より若干遅れて会見場に現れた菅官房長官から発表された新元号は「令和」。日本最古といわれる歌集「万葉集」にしたためられた和歌に由来するその元号には「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という想いが込められているという。


    新元号の印象はともかく、あと10日ほどで「令和」という新しい時代を迎える。残り半月を切った「平成」、迎える新しい時代「令和」、いまだかつてない“高揚感”に包まれたニッポン列島。今回の改元は、天皇陛下が存命の中での譲位ということで、昭和から平成に変わった時の自粛ムードとは、明らかに違う。改元特需が一部にみられるように、陰りが出始めた国内景気にプラスの作用が生まれることも期待されている。


    発表直後、街頭の大型ビジョンの前には人だかりができ、なんと号外欲しさに人々はパニック状態。インターネットのオークションサイトでは、たちまちその号外に高額の取引が集中。ニュース番組では「令和」のネーミングとかぶる人々が次々とインタビーでその喜びを表し、関連商品が続々と販売され、“新元号フィーバー”にニッポン中が沸いている。


    いづれにしても、グローバル化に伴い、さまざまな面で「ニッポンらしさ」が消え続けるなか、現代に残るニッポン独自の文化を大切にするのは実に素晴らしいことだと思う。


    「支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」

     

    2018年12月20日、天皇として臨む最後の誕生日前会見で、これまでの日々を振り返られた天皇陛下。新たな時代の幕開けまで半月をきった今、ニッポン人として改めて、皇位継承の儀式や行事への理解を深め、歴史的瞬間を目に焼き付ける準備をしておきたい。
     

     

     

     

  • 2019/03/11 かなわない現実

     

    福島の原発事故から今日で8年を迎える。被災地ではいまだに町のかたちや暮らしの展望が見通せない中、私たちニッポン人はどんなメンタリティーにあるのだろう。昨年、西日本豪雨災害を身近で体験した私には、福島の現実が他人事には思えなくなった。
     
    どうやら東日本大震災で、私たちニッポン人はすぐには片付かないものを背負い込んでしまったようだ。
     
    それは広い地域の片付かないゴミ問題に加え、水(海)に流せない汚染水を大量に抱え込んでしまったこと。汚れたのは水だけではなく、土地や空気もそうで、これがなかなか「澄んで」いかないのだ。水に流さず、なんとかそこに置いとく事を見て見ぬふりできる寛容性が必要であり、ある程度太っ腹な、ずぶとい神経を持たなければいけない。対応が追いついていない現実を突きつけられた格好だ。
     
    私たちニッポン人は、年末になるといつも年忘れ、忘年会、大掃除だといって、すべて片付けて清めて新たな気持ちで新年を迎えていた。でもそれも、もはや簡単なことではなくなってしまった…。
     
    また、ニッポン人は物事に対してこれまで「本音」と「建前」を使い分けてきたけど、この心性も変わるかもしれない。「大丈夫、大丈夫」だと言われてきた原発が結局のところ大丈夫ではなかったという「どんでん返し」。「話が違う!」と被災地のやり場のない怒りは切実だ。この衝撃はハンパではなく、我々の生活の根底をも揺るがしかねない問題だと思う。それだけあの日に起きたことが現実離れしているという証だ。
     
    正直なところ、私は東日本大震災以降、昔ほど小説を読まなくなった・・・。いや、読めなくなってしまった、といったほうが正しいかもしれない。
    人の持つフィクションの想像力が、どうしても現実にかなわないことを思い知らされたからだ。あの現実を知った今、あれほどの巨大な惨禍を、人が小説として描くことができるとは到底思えない。
     
    「かなわない現実」があることを認めざるを得ない恐怖。被災地ではだれもこんな日常を望んでなんかいない。でも今年もまたあの日を迎え、明日こそは良い日になれと遠い広島から祈る。

     

  • 2019/01/11 とっておきのシンガポール

     

    年末年始、久しぶりに訪れたシンガポールは、まるでテーマパークのように変貌を遂げていた。観光に力を入れているだけあって、ほぼ毎年新しいアトラクションが誕生している。自然と一体化したアトラクションの数々は、きっと訪れた者に忘れられないひと時を演出してくれるはずだ。


    シンガポールは我が家のように赤ちゃんと一緒に行くには最適だと思う。広島から直行便があり、フライト中はバシネットで寝かせ、時差も僅か1時間、どこへ行ってもエレベーターや授乳室にも困らない。物価も安く、町もきれいで観光客にも優しい。

    でも以前訪れた時と比べて、ニッポン人観光客が少ないように感じた…。

     
    「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」   MBSの「インフィニティ・プール」

     

    多国籍企業の参入により、東南アジア諸国の中でも格段の経済発展を遂げたシンガポール。
    いまだに経済は右肩上がりのようだ。ゴージャスな雰囲気を醸し出すホテルや、美食家たちを唸らせる世界有数のレストランまで、ぜいたくな休日を演出してくれる場所が集結している。


    中国系、インド系、マレー系など様々なルーツをもつ多民族国家。そのため食文化も多様で、国際色豊かな料理が揃っていて飽きさせない。中国料理ひとつをとっても北から南まで網羅している。世界の美食をいつでも楽しめるのもこの国の魅力だ。


    シンガポールに来たら絶対食べたいチキンライス!そのチキンライスの有名店「チャーターボックス」は、宿泊ホテルから徒歩圏内。またローカルフードの屋台がひとつ屋根の下に集まったホーカーズは、さまざまな料理を手軽にリーズナブルに楽しめる。観光客にとっても利用価値大のグルメスポット。味自慢の実力店も多いので、欲張ってあれこれ試してみた。


    シンガポールの名物料理のひとつ、カニをチリソースで炒めたチリクラブ。人気店の「ジャンボ・シーフード」を予約。ここは素手で大胆に食べ尽くそう。チリソースといっても一辺倒な味ではないのが、この国の食の奥深さを象徴している。
     

     
    チャターボックスの「チキンライス」   ジャンボ・シーフードの「チリクラブ」 

     

    伝統的な歴史を感じる優美な建物やカラフルなショップハウスが並ぶシンガポール東部のカトン地区では、名物ローカルフードのラクサを。クーン・セン・ロード界隈が散策の中心。色鮮やかなプラナカン食器や美しいビーズ刺繍のお土産を探した後は、MRTで1887年創業の名門ラッフルズ・ホテルへ。ただ、残念なことに今回は改修中でした…。


    世界中の食通が一目置く有名シェフが多いのも、東南アジアの玄関口として人々が行き交うシンガポールならでは。クラーク・キーを流れ、マリーナ・ベイに注ぐ川沿いは、ライトアップされた景色を楽しみながら食事ができる絶好のスポット。テラス席から見るベイエリアの夜景は、滞在を締めくくるのにふさわしい余韻をもたらしてくれる。


    本場の味を楽しみたいという熱い思いが旅を推し進める原動力となるのは、昔も今も同じだと思い至る旅となった。日々新しい味を追求する現地の人々のように、また新たな味覚の旅に出てみたくなった。

     

       

    「クーン・セン・ロード」

      ベイエリアの夜景