Kure-Kanbutsu Co.,Ltd.

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しゃコラ2016

しゃコラ2016

  • 2016/11/26 次はもうちょっとゆっくり来んさい、オバマさん!

     

    今年の5月27日、バラク・オバマ米大統領は現職大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、原爆ドームの前で演説。私は今年を象徴するニュースのひとつだと思う。


    「71年前の雲一つない朝、死が空から降りてきた・・・」印象深いこの言葉で始まるオバマ大統領のスピーチは、世界中の人々の記憶に残るものとなった。

     

    原爆投下の「あの日」から71年、広島の街は見事に復興を遂げた。その象徴は「広電」「お好み焼き」そして「広島カープ」。


    被爆後「今後75年は草木も生えないだろう」といわれた広島。驚くほど早い復興を可能にしたのは、被爆3日後に‘一番電車’を運行して交通網を回復させ市民に希望を与えた「広電」と、食べるものがなかった戦後の庶民の胃袋を安価で満たした「お好み焼き」。そして娯楽が少なく貧しい時代に‘生きる希望’を与えた「広島カープ」だったのだ。


    そのカープが今年25年ぶりに悲願のリーグ優勝を達成し、広島の街は大歓喜。今月3日に行われた優勝パレードを様々な人々が行き交う原爆資料館の前で見ていた時、改めて今の時代が平和であることを実感した。爆心地からわずか数百m、71年前には「地獄」と化したその場所にはその日、平和そのものの光景が広がっていたからだ。


    パレードが始まるのを今か今かと待っていた時、地元の歴史研究家であり被爆者でもある森重昭さんをオバマ大統領が抱擁した場面をふと思いだした。あの場面を目にして、何とも言えない感情を抱いた人も多かったはず。


    今、こうしてあの日を振り返ってみても、まさに歴史的な一日だったという思いがこみ上げてくる。焦土から緑あふれる平和都市へ復興を遂げた‘広島の魂’に触れたオバマ大統領。「世界は本当に変えられるのでしょうか」の問いに、「私たち一人ひとりが世界を変える能力を持っています」と答える。まったく同感だ。ひとり一人の心はかたくなだ。あきらめず、誠実に伝えようとするオバマ大統領の静かな語り口に心打たれた。


    そのオバマ大統領が自ら折って残した「4羽の折り鶴」が、新たな平和の象徴にもなっていると聞く。だがそんなオバマ大統領の任期も残すところあとわずか。年が明ければ大統領も‘ただの人’・・・。その‘ただのオバマさん’が、なるべく早く広島を再訪することを期待したい。

     


    「次はもうちょっとゆっくり来んさい、オバマさん!」

     

    広島原爆資料館 

     

     

    広島原爆資料館の前でパレードを待つ人々

     

     

  • 2016/10/21 好きじゃけぇ、カープ!

     

    セリーグのペナントレースをぶっちぎりで優勝し、25年ぶりに広島に歓喜をもたらした我らのカープ。どことなく王者の風格すら漂ってきた感じだ。
    クライマックスシリーズもDeNAを退け、いよいよ日本シリーズで頂点へ。


    近年、カープ女子、男気、カープ芸人、神ってる、などカープネタの流行語も多数発信!もはや広島だけじゃなく、今やその人気は全国規模で広がり、そして世界中からもカープにアツい視線が注がれている。


    広島地区では2人にひとりが見ているカープの試合中継。カープの試合は常に視聴率30%超え、時に50%にも達するというからまさに驚異的。親会社を持たないカープは、12球団唯一の‘市民球団’で、「私たちが支えている」というカープファンの気持ちの強さが、視聴率に表れたのだろう。


    広島という地方都市にとってカープというのは希望であり、誇りなのだ。

    歴史というか・・・、原爆を落とされて、戦後復興の希望の光がカープ球団だった。たる募金とかもそう。本当に地域に根付いている、特別な球団だと思う。


    そして、何より25年間も優勝から遠のく中で、カープ球団が40年以上にもわたって黒字経営が続き“超優良企業”でいられるのはなぜなのか。そこにはやはり広島という地方都市としての地域性があり、土地柄があるはずだ。


    もともと広島には一味違う個性的な企業が多い。とにかく自分の言いたいことを言う、やりたいことをやるという強い意志を持った‘広島気質’に根差した企業。カープはまさにそんな企業の代名詞といえる。
    今や企業も個性を磨くことが必要な時代。‘広島気質’はこの時代を生き抜くのに非常に適しているのかもしれない。


    今の若い人は最初からこの繁栄があるかのように思ってるかもしれないけど、新しい球場ができるまで、カープ球団は正真正銘の貧乏球団だった。だから光があれば当然影があるように、今日までのカープの辿ってきた苦難の歴史をもっと正確に知るべきだと思う。そこに今こそ光を当ててやる必要があると思うのだが・・・。


    またカープの選手の中には、アマチュア時代から注目され入団したスター選手は少ない。球団が手塩にかけて育てた自前の選手が多い。
    だから名のある選手に期待しつつ、目立たず貢献する選手にも目を向けたい。たとえば守備堅めや代走、代打の選手たち。私たちはエリートにではなく、彼らにこそ人生を重ねられる。困難な中にいる人間に、生きる本当の価値、強さを知ることができるのだ。


    だれも完璧なシナリオを描くことなんかできない。スポーツはまさに筋書きのないドラマ。しかし、そのドラマをも超えた感動の一年。カープが優勝するなんて、本当に夢みたいだ。


    広島には今、時代という「ぶちスゴイ追い風」が吹いている。さあ明日からの日本シリーズ。熱戦を期待したい。きっとアナタも「好きじゃけぇ、カープ!」と叫びたくなりますよ。

     

     

     

     

     

  • 2016/09/17 社員旅行はご褒美

     

    働きやすさの指標ともなる福利厚生で、抜群に不評といわれる社員旅行。やはりほとんどの人が「いらない!行きたくない!」と思ってるのだろうか。会社によっては慰安旅行とも呼ばれるこの旅行。楽しいのは上の人だけ、一部の男性社員だけ、という考えをお持ちの女性も多いはず。
    でも、ちょっと考えてみてください。そんな中、楽しそうにしている女性がいたらどうだろう。「あの子絶対いい子だな」ってなるかもしれませんよねぇ。


    私が入る前には当社も毎年のようにバスに、新幹線に、飛行機に、と乗り込み、観光地で大名行列、夕食は大宴会でカラオケ。社内の大きなイベントとして社員旅行に行ってたみたいです。かつて社員旅行は、ニッポン企業の当たり前の風習。「なくてもいい福利厚生」で、世代を問わず 第1位になったことも・・・。


    しかし最近、社員旅行を新たに導入する企業が、増加傾向にある。社員旅行の負の部分は引き継がず、「きずな」を深める効果だけを取り入れようとする社員旅行の新しいスタイルがどんどん現れている。「個の時代」となり一時は廃れた社員旅行だが、「きずなの時代」へと変化した今、リニューアルしてリバイバルしているようだ。
    「面倒だし、わずらわしい」って?ちょっとちょっと、そこのキミ!食わず嫌いはモッタイナイですよ。

     

     
    アサヒビール福岡工場   工場見学後の試飲

     

     昨年の忘年会の時、社員からの強烈なリクエストを受け、当社も久しぶりの社員旅行を決断。1泊2日の日程で場所は私の大好きな博多方面!自己中と思われた方、ほとんど当たってますが、みんなも行きたがってたので・・・。わずか2日間の旅行でしたが、みんなで満喫致しました。それもこれもお客様を含む関係者の皆様のお陰です。心から感謝申し上げます。


    初日は午前中に博多へ移動し昼食、午後からアサヒビールの工場見学をして、中州へ移動して晩御飯を食べ、オシャレなバーでお酒を頂いて、シメの長浜ラーメン、と博多の街を満喫。しかし、広島から1時間ちょっと、駅についてさらに10分もせずホテルに荷物を置いて行動できるなんて、なんと便利な街なんでしょうか博多は!


    翌日は、オープンしたばかりの「bill's」で朝食して西鉄電車に乗って柳川市へ移動。柳川市は町中に巡らされた堀割水路を船で巡る川下りで有名な街。早速みんなで船に乗り込んで戦国時代から続く水と文学の街をゆったり見て廻りました。


    柳川の観光川下りは昭和36年の創業。船頭さんの案内や川べりの風景なども磨かれて洗練されてます。歌あり冗談あり歴史文学の解説もあり、楽しい船旅を過ごすことができました。すれ違う船には、やはり多くの観光客が乗船していて、若い船頭さんは言葉少なでちょっと恥ずかしそう。それに比べてベテラン船頭が案内の私たちは「うちの船はサービスが良かったねー」と大喜び。
    柳川は福岡市から西鉄電車でたどり着ける小さな観光地。静かで落ち着きがあり、京都にも似た歴史情緒もあり、また鰻が名物でもあるので、社員旅行にはオススメです。

     

     
    「一慶」の炙りもつ鍋   二次会は中州の「es」で乾杯

     

    今回、会社からの「強制」というイメージは無く、「ご褒美」とでもいいましょうか、でも、やはりそこはコミュニケーションの時間。アルコールによって心の中のつぶやきが思わず表に出ないように、気をつけました…(笑)


    改めて感じたことは、社員旅行が日本の企業風土にとても合う行事だということ。だから一度は廃れたのに、復活の兆しを見せているんですね。

    ひょっとしたら企業として社員旅行について考えることは、私たちの日々の‘働き方’について考え直すことに繋がっているのかもしれません。

     

       

    朝食は「bill's

      柳川の観光川下り

     

     

  • 2016/08/20 アジアのエネルギッシュな交差点‘香港’

     

    カオルーン(九龍)半島や香港島を中心とした島々からなるアジアの一大経済都市・香港。平地が少なく、所狭しと立ち並ぶ建物の隙間をトラム(路面電車)が行きかう。大通りから一本、また一本と進むごとに変化する風景が実に楽しい。高層ビルの都会的オフィス街、こじんまりとした昔ながらの専門店街、光り輝く夜景やハーバーなど、通りごとに街はめくるめくようにその表情を変えていく。


    香港がイギリス領から中国に統治権が戻されたのが1997年7月1日。なんだか“中国返還”って言葉が重くて、どうも行く気にならなかったのが本音のところ。 前回から二十数年ぶりということもあり、どんなに変わっているか密かに楽しみだったが、改めて、東西、新旧入り混じってる国際都市・香港をゆったりと巡り、縦横無尽に楽しむことができた。


    香港がイギリス統治下にあった期間は以外に短い。そのためか、香港はマカオに比べ、飲茶など中国広東省を中心に育まれた食文化が色濃い。世界有数の金融・ブランド街のセントラル(中環)と、乾物、骨董、漢方などの商店通りが連なるションワン(上環)。あちこちを行き交う台車の音を背景に、隣接する街を歩き、香港の食文化の新旧を訪れるのが今回の旅の目的だった。


    ニッポンでは普段から‘身体の具合が悪い時’に食べるイメージの「お粥」。日常的にあまり食べる習慣のない方も多いだろう。しかし香港においては、”朝食の定番メニュー”として多くの人に愛されている。路地には長い歴史を持つローカルなお粥屋さんがたくさんある。今回の旅では、これが大当たり。美味しいし、腹持ちも良いし、朝食べれば一日中元気で過ごせるメニューだ。
     

     
    朝食の定番 香港粥   「The Lobby」アフタヌーンティー

     

     そして香港といえば飲茶!「蒸す」「焼く」「揚げる」「デザート」とバラエティ豊富な点心をカジュアルに楽しめる。帰ってきてから後悔しないように、気になったメニューは是非とも食べておきたい。
    また、見た目と食感を元の料理に似せた‘新しい中国料理’が女性を中心に人気だという。これも香港の食文化の新たな潮流といえるだろう。
    それから忘れちゃいけないのが、おやつタイム。美味しくってヘルシーな香港スイーツは、食後のデザートとして絶対外せない。


    カオルーン(九龍)半島の先端に位置するチムサアチョイ(尖沙咀)は、香港の一大繁華街。突然訪れるフォトジェニックな風景や、思わずツッコミを入れたくなるような看板やネオンが夜に映える。ネオンギラギラの大看板の真下を通ると香港に来たな~って実感が湧いてくる。

    夜景はハーバーを色とりどりに染め、映った光はこっちに向かって延びてきそうだ。足を止めてぼーっと、輝きに見とれる。この一つ一つの光が、エネルギッシュな今の香港を表しているみたいでとても綺麗だ。また、そこかしこに見られる建設現場から、この街のさらなる成長の予感がする。そして人の多さからこの街のスケールの大きさが伝わってくるようだ。

     

     
    トラム(路面電車)   「シンフォニー・オブ・ライツ」 

     

    日が沈むと「ザ・ペニンシュラ香港」に明かりが灯る。1928年に開業した‘東洋の貴婦人’と称される香港を代表する名門ホテルだ。ハーバーに向かってコの字に構える玄関のエントランス近くにあるラウンジ「The Lobby」は、アフタヌーンティーの時間帯は行列ができるほどの人気。夕方以降は比較的空いていて、ひと息つくのにもってこいだ。後ろには以前訪れた時には建築中だった30階建てのタワ―がそびえていた。


    香港はお酒が非課税で、世界中からおいしいビールやワインが集まってくることもあり、開放的でお洒落なバーがたくさんある。ついつい飲み過ぎて終電を逃しても大丈夫。ニッポンよりはるかにタクシー代が安いのだ。実は、これが一番の魅力かもしれない。


    そこにしかない絶景に感動し、そこでしか味わえないグルメに満足。

    久しぶりに訪れた香港は、どこか懐かしく、そして、新しくもあった。 

       

    ションワン(上環)の露店

      本場の飲茶

     

     

  • 2016/08/04 絵本でよみがえる記憶

     

    携帯(スマホ)の機種変更に行った時、店内に子供が退屈しないようにと絵本がたくさん置いてあるのに気付いた。他に滑り台や人形、ブロックまで・・・。これなら待ち時間が少しぐらい長くなっても子供連れには安心だろう。


    気になったので時間もあるし、ちょっと子供に戻ったつもりで、絵本の中をのぞいてみることに・・・。

     


    思えばこどもの頃の記憶なんて、大抵断片的なもの。様々な時間が、コラージュのように脈絡なく重なっている。現実の世界を見ながらも、想像の世界へ意識がするっと移動して、何が現実で何が夢だったのか判別が難しい。絵本の中にしかないはずの、象さんとネズミさんの姿や、キリギリスのすぐそばでカステラを焼いてるアリさんがいる、というのが普通のこととしてある。それがこどもの頃の当たり前の記憶というものだろう。夢とうつつの間を揺らめくこどもの心が、すぐに異世界へ飛び立てる入口として、絵本はあるのかもしれない。


    次々絵本を手にとって眺めていると、いつの間にか店の中全体に夢とうつつが混在しているかのような錯覚に陥る。その時「何だかここはお寺のようだ!」と、ふと思った・・・。


    なんでそんな風に感じたのかといえば、こどもの頃、私は近所のお寺に併設されている幼稚園に通っていたからだ。そこでよく絵本を大きな声をだして読んでいたのを思い出した。そこでは幼稚園で子供たちが習い事をしている間、本殿ではお経が読まれたりしていた。今思えば、なかなかいい組み合わせである。お寺が自然と町の集会所的な役割も果たしていたのだ。


    現在絵本によって語り継がれている昔話や童話も、最初は、誰かの脳裏に浮かんだ世界を言葉に変えて伝えたものだろう。今、目の前にある風景と、記憶の中にある風景、そして誰かが語り伝えた風景が混然一体となって言葉となる。一気に記憶がよみがえる様を走馬灯になぞらえるが、私にとっては「お寺」という場所も、よみがえる記憶を表すのにふさわしいのだ(笑)


    絵本のいいとこは、やっぱり親と子が共にいて、そのひと時の時間と空間の中に絵本という歓びの世界があり、読み手と聞き手とがその歓びをわかちあい共有するということだ。絵本を読む体験というのは、子供にしてみたら大冒険に出かけるのと同じぐらい大きな体験。読み聞かせることによって間違いなく声として言葉が巡り、子供に届く。やがてそれが会話へと繋がっていく。


    普段の会話も同じことで、文字を介さずに直接声として言葉を届けている。ところが最近、声として言葉を届ける機会が極端に減ってきていると思う。メールやLINEなどの機能が進歩するに従って、気付くと音声で会話することもだんだんしなくなってきているのだ。


    若い頃は、よく友達ととりとめもなく長電話をして親に叱られたものだが、今の若い人たちはそれほど長電話をしない、と聞く。もしかすると、言葉を声にする機会を、意識してつくらなければならない時代なのかもしれない。
    携帯ショップの店内に絵本がたくさん置いてあるのも、その辺と何か関係があるのかも・・・。でもさすがに、ちょっと考え過ぎだろうか・・・。

     

     

  • 2016/07/21 若者に示せないまま選挙の夏がゆく

     

    まったく悪い冗談としか思えないのだが…。


    何がって、今回の参議院選から18歳と19歳の有権者240万人が誕生したことだ。これは全体の有権者のなんと2%にあたるらしい。


    我が身を振り返れば、18歳、19歳といったら‘若気のいたり’の大量生産中。とにかくバイトや遊びに忙しくて、お国の代表者を選ぶなんて、とてもとても・・・。
    まあ、遊びそっちのけで「選挙カーの後を追っかけまわすのが好きだ」とか、候補者の「演説に鳥肌たった」とか言うコがいたら、それはそれでどっか変だとは思うけど…。


    選挙年齢が引き下げられた理由は、これから子供が減って高齢者が増え、人口減少は止まらない。だから世界の先進国並みに18歳から選挙権を持ったら、若者に向けた政策が実現しやすくなるだろうということらしいけど、しかし、そううまくいくのだろうか…?
    「どんな基準で選んだらいいんですぅ??」なんて、頼むから聞かないでよ、というのが我々大人世代の正直なところ。


    若者の正しい姿に水を差す気はないけど、理念や志って、たいがいの候補者は立派なのが当たり前。で、Aさんの公約を読むと「ほぅ、それはそれは」と感心し、Bさんの言い分を聞くと、「いいこと言うねぇ」と思う。なのに、その中身を誰も心底信じていないのだ。思えば変な話だけど…。


    というのも、私ら「人前で政治や宗教の話はイマイチ」と教わったけど、政治理念の読み解き方なんて聞いたことがない。ずっとあいまいなまま。それは平成生まれの若者だって同じはずなのに、いきなり選挙権持たされるってのはどうなんだろう。「自分の考えで選べ」といっても、私たち大人だって出来てないことを若者に求めることに無理がある。


    それともう一つ、選挙権を持ったがために、大人のいや~なところを、若くして見るハメにならないか心配だ。
    たとえば、公約は言ったもん勝ち。果たせなくてもこれといった罰則はないし、何回同じことを言ってもおとがめなし。絶えることのない政治とカネの問題も、やっぱり不透明。


    正直これまで、選挙のたびに、確信のないまま、人の名や政党名を書いてきた。


    そんな投票に割り切れない思いを抱いてきたけれど、この参議院選挙は、今まで以上に気が重かった。「こんな思いをさせやがって、責任者、出でこい!」と言いたいところだけど、「は~い!」と一歩前に出る人は誰もいない (笑)


    これが私たちの美しいニッポン??


    やっぱり悪い冗談としか思えない…。

     

     

  • 2016/06/30 140字のつぶやきの功と罪

     

    望めば、たった140字で、世界中の誰とでもつながることができる。フォロー、なう、拡散、なりすまし、炎上・・・そんな言葉とともに、今やすっかり我々の日常に溶け込んだツイッタ―。かつての他愛のないつぶやきは、サービス開始から10年経った今、あまりにも大きく、時に雑音として私たちを揺らしている。


    ツイッタ―はもともと「社会的要素を備えたコミュニケーションネットワーク」を目指して始まったサービス。いい面の顕著な例として、東日本大震災の時の活用か挙げられる。当時電話回線はつながらないが、ネット回線の“ツイッタ―ならつながる”と注目を集め、何がどのくらい不足している、自分はどこに避難している・・・など、被災者と支援者がつながる貴重なライフラインツールとして見直されたのだ。ネットの速報性が見事に発揮されたケースといえる。

     


    だから、今年4月の熊本地震でも同様に期待した人は多かった。でも、今回は悪い面が脚光を浴びてしまったのだ。それは、芸能人などのSNSをチェックしては、ツイッタ―上でその言動を不謹慎だとあげつらう“不謹慎狩り”という炎上騒ぎ・・・。


    その内容は往々にして重箱の隅をつつくようなどうでもいいことだったり、理不尽なものだったりするのだが、書かれた芸能人たちは過敏に反応して該当部分を削除したり、それについて謝罪したりする人が続出したのだ。


    だが、あるタレントの大炎上といわれてた騒ぎが、実はたった6人の発言だったという“炎上の正体”が明らかになった時は衝撃的だった。大きな声だと思っていたのに、実はごく一部の限られた人の声で、それに私たちが、芸能人が、心を揺さぶられ、右往左往しているという現実が、10年目の節目の今、初めて私たちの前にさらされたわけだ。


    また、国会に取り上げられるほどの社会問題となった「保育園落ちた日本死ね!!!」騒動は、ブログの発言をすぐに拾い上げたツイッタ―からだった。あっという間にニッポン中に拡散し、国会デモにまで発展。日に日に大きくなる声は世論となり、政治をも動かした。ツイッタ―は手軽な一方でこうした炎上騒ぎが、たびたび大きな社会問題を生んできた。


    節目の年に改めて振り返ってみると、見えてきたのは「丁寧な暮らし」というキーワード。
    将来にときめく10代にとっても、容姿も衰え老後が不安な50代にとっても、どんな一日だってたった一度しかない。閉塞感がふくらみ、急がされる毎日だからこそ、ここはひとつ心を豊かに、丁寧に一日を暮らしたい。


    特に今のニッポン社会は、モノばかりあってアンバランスだ。とても豊かなはずなのに豊かに感じない自分に対してどうしていいかわからない焦りがある。あるものへの感謝より、ないものへの嫉妬や焦りが強い気がする。


    だからこそ、毎日家族で朝食を囲み、適度に体を動かし、肌なじみのいい服をさらりと着て、季節の花をリビングに飾る。休みの日はできたばかりのカフェに行ってみよう。最近のSNSに投稿される人々の生活には、いずれもモノの豊かさよりも心の豊かさを重視しているように見えるのは決して偶然ではないはずだ。


    そして利用する立場にある人は、便利さに目をくらまされ、自らの信頼を失うようなことがないようにしたいものである。どういうメディアを用いていても、内容の信頼性、そしてその情報を流す人の信頼性が最も大事であるということに変わりはない。
    要は使い方の問題であって、ツイッタ―そのものになんの罪もないのだ。


    数々の炎上騒ぎと、災害のたびに注目を浴びてきたこのツールは、これから先、私たちにいったい何を与え、私たちからいったい何を奪っていくのだろう・・・。

     

     

  • 2016/05/30 進化し続ける宅配便

     

    今日もマンションの宅配ボックスで荷物を受け取る。確かに、こいつは便利だ。宅配便の普及によって私たちの暮らしは随分豊かになったと思う。


    私たちのライフスタイルを急速に変えて、なおも進化し続ける宅配便。今や日本全国、翌日には荷物を送れる。そんなニッポン人の暮らしに欠かせないサービス“宅配便”は、どのように進化してきたのだろう。そして、終わりなきサービス戦争は、これから先いったいどうなっていくのか…。


    普段は中々そのありがたみに気づかなかったとしても、なくなったら困るものが世の中にはたくさんある。宅配便はまさにその代表格。ネットショッピングが拡大し、その必要性は日に日に高まるばかり。比例するように‘利便性を高く’‘サービス重視’という私たちの欲求も尽きることがない。
    朝も夜も、大晦日も正月も、全国11万人超のセールスドライバーたちは、毎日ニッポン列島を走る、走る!!


    だが現場のドライバーたちは、正直しんどいはずだ。体力・清潔さ・爽やかさ、など求められることも多い。重労働に加えてサーヒース残業もあったり、職場環境は決して良いとはいえない。朝も早くからの出社。ていねいな仕事ぶりも要求される。それから寝ぐせも髭剃りの剃り残しも許されません!(笑)


    明日もし、宅配便がなくなったら私たちの生活はどうなるのか。なにより誰かに物を届けたいと思った時には、どんなに遠くても自分で持って行かなければならない。宅配便は今、間違いなく私たちの生活になくてはならないものになっているのだ。


    各社、時間指定、翌日配送、再配達はもちろんのこと、メールでの配達事前通知、複数個割引、荷物追跡システムといったサービスを次々と生み出している。
    社会問題化する「時間指定」と「再配達」。「時間指定」は、時間に遅れても、早すぎてもいけないらしい。だが「時間指定」どころか、今や「全品送料0円」の時代。それでしわ寄せを受けるのはいったい誰だろう…。


    日々サービスが進化するのは、忙しい現代人のニーズに対し、きめ細やかに応えることが要求されているからだ。また、そうしなければ、宅配便業者は生き残れないことを知っている。今後も宅配便に対する欲求が尽きることはないだろう。


    一方で、今あるサービスがなくなったら不便を感じるのも当然のことだが、現状のサービスが与えている“幸福”だって間違いなくあるはずだ。届けてうれしい、もらってうれしい、宅配便のそんな恩恵は誰しも覚えがあるものだ。


    安全・確実・安心に荷物を運んでくれる‘メードインジャパン’のサービスに慣れてしまった消費者は、さらなる高みを求め続けるだろう。それに応えるように宅配便は更に進化していくに違いない。


    もっと早く、もっと正確に、もっと丁寧に・・・。

     

     

    だが、その先に、いったい何があるというのだろう。

     


    トラックの荷台に無造作に積まれた宅配便の山

     

     

  • 2016/04/26 地域知(ローカル・ナレッジ)の重要性

     

    出勤前に見る朝のニュース。今日もテレビ画面には「熊本地震」。見るたび「ひとごとにしてはいけない」と自分に言い聞かせる。そう言い聞かせている時点で「ひとごと」だと、どこかで気がついている。そう、「ひとごと」だ。

     

    こんなこと書いてしまえばおしかりを受けるかもしれない。だが、いつもとさして変わらぬ支度をして、仕事に向かう自分にどこかであきらめている。今の自分には大したことができないことが、わかっているからだ・・・。


    報道や現地ルポは、それが持つ性質として多くをとりこぼすし、決してマスコミで報道されていることがすべてではない。ネット上を飛び交うツイッターやフェイスブックなどの災害を伝える内容も、現実を正しく表しているとは限らない。
    ひとり一人の変化し続ける感情。悲嘆、後悔、反省。残念だかそれらは破片のようにちらばって、やがて月日が経てば忘れられ消えてゆく・・・。

     

     

    今ほど「想定外」という言葉が、軽率で曖昧な意味を帯びている時代もないかもしれない。


    突如発生した熊本地震の衝撃は、広島に暮らす私たちの心身にも消えようもなく刻印された。まして被災地で、肉親や親友、恋人、恩人を失った人々の絶望はいかばかりか。今回の地震では、熊本城など地域の観光拠点になっているところも多く被災した為、自治体や観光業界に与えた衝撃も大きいだろう。


    東日本大震災による喪失すら癒えないうちに、九州地区では余震が続き新たな大地震発生の恐れも指摘されている。いつ何がどうなるのか、言い知れぬ不安とともにある人々にとっては、そうした切実な状況下では、もう「想定外」だったでは許されない。
    再出発には今一度、この国が地震列島であることの自覚が不可欠だ。それは中国地方も例外ではなく、いつでも起こり得ることが「認知」されなければいけない。相手は自然であり、時として、人間の勝手な想定にとどまるものではないことを受け止める必要がある。


    東北の被災地の子どもたちは、想定を超える災害に対しては、ハード施設に依存せず「社会対応力」で備えることの重要性を日々学んでいるという。これらのことが「地域知」として常識化され文化となり、世代間に受け継がれていくことが防災という意味においても重要らしい。それは、ひとり一人が災害に対する賢さを備えた真に強い社会を形成し、想定外を生き抜いていくということにほかならない。


    震災からの一日も早い復旧復興を全力で進めると同時に、今後来るべき災害への備えは、モノだけではなくニッポン人が育み蓄積してきた「地域知」であるべきだと改めて思う。
    その活用こそが災害時の命綱にもなり得ることを肝に銘じたい。 

     

     

     

     

     あとがき

    2016年4月14日発生した熊本地震の被害により亡くなられた方に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
    一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

     

     

     

  • 2016/03/25 今日もいつもの『あさが来た』

     

    27%越えの高視聴率を記録し、放送開始から好調が続くNHK連続テレビ小説『あさが来た』に毎日元気をもらっている。これを見ないと一日が終わらない。リアタイが無理なので録画して見ているのだが、見終わるともう翌日の放送が気になって気になってしょうがないのだ。
    なんといってもテンポがいい。展開が早いので見ているこっちまでそわそわしてしまう。


    こんなにハマってしまった自分に正直“びっくりぽん”だす!


    強い女性ヒロインの生き様、激動の時代を生きる姉妹の物語、やさしすぎる夫との関係、そして五代やうめや娘の千代の恋など、しっかりポイントを抑えた物語の進行が番組スタート以来の視聴率を支えている。あさと新次郎の夫婦仲にときめけば、過酷な運命にも果敢に立ち向かうあさの姉・はつの行く末を心配する。
    登場人物のなにげない言動がいろいろな場で作用していく。複雑で細かい編み目のような脚本は、たくさんの見どころを演出し、視聴者を着実に捕まえている。


    特に主人公・あさは性格や生き様が漫画の主人公みたいでとても魅力的だ。その元気いっぱいのあさを演じるのは波留。放送当初のとにかくかわいかった頃と比べ、今では風格さえ漂うほどあさになりきっている。


    あさの夫・新次郎を演じる玉木宏の「つかませない」演技も見事にハマっている。傘を華麗に開いたり、とぼけた表情をしたり、飄々としながらも大事なところは一本、筋を通す・・・。ただの「アホぼん」なのか、爪を隠した能ある鷹なのか、視聴者にどういう人かつかませないように見事に演じられている。


    脇役たちの好演も光っていて、数々のドラマや映画、舞台などに出演する実力派俳優たちの演技がドラマのクオリティーを上げている。


    「勇気あるペンギンのことをファースト・ペンギンというんです」


    ディーン・フジオカ演じる五代友厚は、炭鉱事業に挑戦するパイオニアのあさを集団の中で最初に海に飛び込むペンギンにたとえて、そう励ました。
    このシーンを名シーンにあげる人は多い。劇中ではあさを仕事相手として尊敬すると同時に一途な恋心を抱く切ない役どころで、女性視聴者のハートをぎゅっとつかんだ。


    ただこのドラマはやたらと盗み聞きしているシーンが多い。扉の向こうに立っていても‘完全に見えている’状態でも盗み聞きが成功している。ここまでくるとなんだかほほえましくも感じる。


    もうじき最終回を迎える『あさが来た』。どうやら最後の最後まで気の抜けない怒涛の展開が続きそうだ。今後、最大の理解者で最愛の夫・新次郎との「別れ」に直面するあさは、そして・・・(ネタバレ要注意!)
    あ~、どうしてもラストは気になる。『あさが来た』の最終回は、第156話で2016年 4月2日(土)に放送予定。でも最終回がくるのがこわい。


    私たちはやがてくる“あさロス”を、いったいどう乗り越えればいいのだろうか。

     

     

  • 2016/02/16 ニッポン人が忘れた悪かろう安かろうの本質

     

    「驚くほど安い!」と感じた時、どの世代より下は「うれしい、すぐ買おう!」と思い、どの世代より上は「あやしい、気をつけよう!」と思うのだろう。


    かつてニッポン人が当たり前のようにもっていた「安かろう悪かろう」という生きるための知恵は、いったいどこにいったのか・・・。どうやら縮んでいく現代社会の中で、完璧に忘れ去られてしまったらしい。今年に入って、立て続けに起きた‘格安バス転落事故’や‘廃棄食品の横流し問題’に、ニッポン人が忘れた「安かろう悪かろう」の本質が透けて見える。まさに今の世の中の危うさを露呈した格好だ。


    1月15日未明、長野県軽井沢でスキーのツアーバスが道路から転落し、運転手2人を含む15人の死者を出す事故が起きた。過去30年間のバス事故の中で最悪の大惨事となった。65歳と高齢で、大型バスの運転に不慣れだった非正規雇用の運転手による人為的なミス。


    だが、今回の事故はそれだけでは割り切れない、「うちらの国」の根深い問題を浮き彫りにしたのだ。貸切バス業界は00年に規制緩和によって参入する業社が増え、その結果、値下げ競争が激化している。今回のツアー会社の宣伝文句は「業界最安値にこだわる」。バス代をギリギリまで切り詰めてのツアー代は、交通費・宿泊費にリフト代を含めて1泊1万3000円からと破格の「激安ツアー」だったという。安全運行に支障を及ぼすほどの価格であることに、疑う余地もない。


    また、安易な価格競争は食品業界も歪めている。1月13日「カレーハウスCoCo壱番屋」が異物混入の恐れがあるとして、廃棄処分した冷凍ビーフカツ4万枚が、廃棄処分処理業者によって横流しされ、食品関連会社が転売していたことが発覚した。


    不自然に安い商品が流通することは珍しいことではない。食品関係者なら、“ワケあり品だな”とすぐにピンとくるが、あえて出所は聞かずに買って売る。冷凍品を加工して売ってしまえば客にバレることはない。今回の事件も見つかって“ヘマをしたな~”という程度の認識だ。そこには「バレなきゃいい」という業者側のカネ儲け主義が背景にある。


    最近ハンバーガーが半額になったとか、198円の弁当があるとか、1杯200円でカレーが食べれるとかのニュースが流れると、いささか不愉快な気分になる。だいたい198円でまともな弁当が作れるはずがない!

    ちゃんとした商品であれば、それ相応のお金がかかっていて当然だ。ニッポン人は昔から安いものには必ず、安いなりの理由があるということを「安かろう悪かろう」という短い言葉で説明してきたじゃないか。だからあまりにも安いものにはどこか怪しい部分がある、という感覚を持った方がいいような気がする。安いと思って飛びつけば結局は粗悪なものを掴まされる。そんな余計にお金がかかるということを昔から「安物買いの銭失い」と上手に表現してきたはずだ。


    そうした「不自然に安いものへの警句」は、かつてのニッポンでは親が子にあるいは、ばあちゃんが孫に伝えた「生きていくために必要な知恵」だった。だが現代のニッポンではその知恵は失われつつある。


    ニッポンではバブルが崩壊してデフレが深刻化してきた00年頃から安いものは「悪いもの」ではなく、「お得なもの」という考え方に変わった。
    商品が過剰供給されることで、低価格が独り歩きを始め、消費者は正しい商品知識を学ぶ機会を失い、品質の良し悪しを見抜けなくなったのだ。何を選んでよいのかわからなくなり、結果として価格だけが判断基準にならざるを得なくなってしまった・・・。
    だから消費者は「安かろう悪かろう」を捨てたのではなく、持つことが難しくなってしまっただけなのだ。


    また、安さのしわ寄せが、社会的弱者に真っ先に行くのではと心配になる。
    “安さ万能”という風潮の中で「安かろう悪かろう」という古くからの知恵を持てずに暮らしているとすれば、社会的弱者もまたそんな時代の被害者と思えてならない。
    そして、いま直面している事態を見ようとしない社会の意識も問題だろう・・・。


    どうやら事はそう簡単ではなさそうだ。

     

     

  • 2016/01/25 David Bowie ~ ロックを変えた美しき半生 ~

     

    2016年1月10日、20世紀を代表するロックスターDavid Bowieが亡くなった。ニッポンでもメディアが大きく取り上げたことにオールドファンとしては、少し戸惑いもした。
    今、彼の突然の死を受けて、世界各国のミュージック・シーンではBowie追悼の特集が数多く組まれている。ついでと言っては何だが、私の‘しゃコラ’だってその例外ではない。


    Bowieといえばロック史に燦然と輝く誰もが知る永遠のマスターピース『Ziggy Stardust』だが、この作品を読み解くためには一定のリテラシーを必要とする。
    『Ziggy Stardust』の魅力を、この機会に何としても若いロックファンにも伝えたい。あるいは、この歴史的名盤の果たした役割を今一度世に問いたい。そんな強い思いが彼の死後、メラメラと燃え上がってきた!
    Bowieの『Ziggy Stardust』は、ロックが誇りを持って後世に伝え続けるに値する貴重なロック世界遺産と言っていい作品なのだ。


    David Bowie『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』
     

       
     The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars   ZIGGY STARDUST THE MOTION PICTURES  

     

    このコンセプト・アルバムは架空のロックスター‘Ziggy Stardust’の成功から没落までにまつわる曲で構成されている。
    Ziggyは滅亡を迎えた人類を救うため地球に降りてきたロックンローラー。バックバンドのThe Spiders from Marsを従え一時は絶大な人気を集めるが、大きくなり過ぎたエゴのためにやがて自滅するといったストーリー。


    ステージでBowie自身が演じたZiggyはロックの歴史の中で初めての生身でないスター、作られた偶像だった。聴衆は「David Bowie」ではなく、「Ziggy Stardust」として彼を讃え、Ziggyは虚像のスターとしてロック界の頂点に立った。それまで誰も見たことのないメイクとコスチュームでエキセントリックで鮮烈なキャラクターZiggyに扮し、当時のBowieはロックファンの中でもカルト的な人気を集めたのだ。


    ロックの未来を変えた愛するトリックスター‘Ziggy Stardust’の物語。
     

    Bowieが演じることでZiggyは、自由と変革の音楽であるロックのアイコンとなった。だが、彼がZiggyになるまでには、実は長い長い道のりがあった。決して突然現れた訳ではなく、いくつかのバンドを経て(いわゆる下積み時代)ソロとして再デビュー。それでもパッとしない彼は、独特のキャリアの積み方をしながらチャンスを待ち、ついに別の人格で新しい物語を紡ぎ出した。聴衆を別世界にいざなう新たな自我を造り上げて自分自身と切り離すことで、爆発的な想像力を生んだのだ。


    さて、あらためてじっくり聴いてみる。物語は滅亡まであと5年しかないと叫ぶ"Five Years"で幕を開ける。"Soul Love"や"Moonage Daydream"でのBowie特有の高揚感が一気にテンションを上げてくれる。"Starman"や"Star"のようにスローガンになるほどのノリのいい曲も"Lady Stardust" のような緊張感に満ちた佳曲も未だ色あせることなく聴く者を魅了する 。そしてタイトル曲の"Ziggy Stardust"はやはり異世界感がうまく演出されている「決めの曲」。"Hang On to Yourself"、"Suffragette City" みたいな荒々しくパンチの効いた曲も今聞いてもカッコイイのだが、次第にZiggyのエゴが過剰になって恐るべきクライマックスがやってくる。ラストを飾るのは"Rock 'n' Roll Suicide" 。この曲とともに世界中が熱狂した「Ziggy Stardust」の物語は幕を閉じる。


    Bowieにとってはひとつの終わりだったかもしれないこの物語、しかしそれはおそらく数限りないロックファンたちにとっては、終わらない旅の始まりとなった。


    その後も、その時々の目指す音楽に合わせ様々なキャラクターをまといパーフォーマンスしたDavid Bowie。どんな非現実的なキャラクターとも華麗に戯れたたぐいまれな予測不可能なロックスター。コンセプトによって全く違うキャラクターになりきってしまう。思えば特異なキャラクターをつくり出し、演じたのは本当の自分を隠すためだったのかもしれない。別の仮面、別のペルソナになるために・・・。


    69年間の人生の幕引きを自らの美学をもって終わらせるという物語を演じ、ついに本当の星になったDavid Bowie。これもまた彼自身が自らの死をもって創り出した最後のキャラクターだったのかも知れない・・・。

     

     

  • 2016/01/12 ローカル気分で過ごすハワイ

     

    ALO~HA!


    肌寒いニッポンを抜け出して、年末年始は南国ハワイへ!


    太平洋のほぼ中央に位置し、大小さまざまな島からなるハワイ諸島。なかでも、世界中から多くの旅行者が訪れるオアフ島は、トレンドを抑えたショッピングに、次々と流行が生まれるグルメ、アクティブなマリンレジャーなど、旅慣れたリピーターをも惹きつけてやまない、洗練されたとっておきのリゾートアイランド。


    きらきら光る海、ドラマチックな山々、島じゅうにあふれるもてなしの心、そして心が豊かになる極上の笑顔。心も身体も元気にしてくれて、外国なのに「ただいま」と言いたくなる場所。ハワイほど、皆に愛される島はほかにあるだろうか。


    もしハワイを訪れる機会があるのであれば、私は地元の人のようにゆったりと過ごす時間をおススメしたい。この地に暮らすロコの人々の生活に寄り添い、のんびりと同じ速度で歩く。
    そして、喧騒とは無縁の美しいビーチに寝転んで、澄んだ青空を見上げれば、いつもとは違う、もうひとつのハワイの風を感じることができるはず。
     

       
    出発前のひととき   ワイキキの新年カウントダウン花火大会

     

     また旅先では、美味しい食事に出合えるかどうかで、その土地の印象が左右されてしまうことは多い。食いしん坊の私にとっては、ここは何より重要なポイントのひとつだ。
    新しい話題に事欠かず、日々Newオープンの情報が更新されるハワイのグルメ事情。人気店のパンケーキや朝食ブームなど、ハワイの食の流行は、即座にニッポンにも波及するといわれる。滞在をつねに新鮮に、充実したものにするためには最新情報もチェックしておきたいものだ。

     

     
    「Crackin Kitchen」の手づかみシーフード   Cream Pot」のパンケーキ

     

    海に癒され、美食を堪能した後は、やはりサンセットで締めくくりたい。美しい夜景を見るなら太陽が沈みゆく夕暮れから、日没後の10分間くらいがおススメだ。
    太陽が沈む一瞬は静寂に包まれる。時が刻まれるにつれ、海と空は濃度を増し、高層ホテル群から放たれるオレンジ色の光が、その輪郭をより際立たせていく。まるで生き物のように刻々とその表情をドラマチックに変えていく風景は、ハワイの旅を締めくくるのにふさわしい絶好のシチュエーションといえる。
     

       

    初詣に行った「出雲大社 HAWAII」は大行列

      「Moana Surfrider」からの美しいサンセット

     

    旅に出る目的として、その土地の文化や風習、ライフスタイルを学ぶことは大きな楽しみのひとつだ。地元の人が愛するハワイを知ることは、その本質に近づく旅でもある。
    ただ、今回の旅で気づいたことは、どんな旅のスタイルでも、自然にやさしく迎え入れてくれる度量の広さこそ、ハワイの本当の姿なのかもしれない、ということ。


    その魅惑の理由に改めて気づかされた・・・。


    MAHALO~!