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しゃコラ2014

しゃコラ2014

  • 2014/12/26 昭和を過去のものとした名優

     

    いつの時代でも時代と共生する人がいる。昭和という時代と共生した人といったら、美空ひばり、石原裕次郎と並び、高倉健、菅原文太のふたりも外せない。思想表現・基本的人権のすべてが奪われた理不尽な時代が終わった戦後のニッポン社会にジャストミートしたふたり。高倉健(享年83)さんが今年11月10日に、そして菅原文太(享年81)さんが11月28日に亡くなった。

     

    同じ時代を生き、ともに、「男」を演じる名優として並び称されたふたりの相次ぐ訃報はニッポン映画界に大きな衝撃を与えたが、そんな「昭和のスター」である二人は同世代で、共にニッポンを代表する俳優でありながら、歩んできた人生はまったく違うものだった。


    寡黙で無口。不器用な男。背中で時代と男を語った。高倉健さんのイメージは多弁ではないそんなイメージがある。時代は高度経済成長の最中に、任侠映画で人気を得てスターの仲間入りを果たし、その後の映画では一転「健さん」として親しまれたが、そのプライベートは常にベールに包まれていた。演じた役の男の生き様で多くのファンに愛された国民的俳優。正統派の俳優としての地位を映画だけで確立した最後の銀幕スターだった。


    菅原文太の代表作といったら、ここ呉市を舞台にしたやくざ映画『仁義なき戦い』だろう。健さんの任侠路線を追い越せとばかりに、新たなヤクザ映画のスタイルを模索した問題作。社会の吹きだまりに生息する連中の生態を生々しく暴く、ニッポンの戦後史の裏側をえぐる傑作だ。

    その後『トラック野郎』でコミカルな一面を見せ、新たな映画ファンからも人気を得てこの時代を代表する名優へ。これらの作品から菅原文太とは、「静かなすごみを秘め、リアルな人間臭さ」が売りだった。
    だが晩年は原発や憲法、農業などの社会問題をテーマに活動。高倉健とは対照的に「反戦・反原発・護憲」運動にコミットした言動も目立った。


    最近の映画は、最終的にテレビで放映することを前提に作られているから、取り上げる題材や職業に差別が出てくる。権力の規制を踏まえた上で製作されている感じ。だからもう、ヤクザ映画は撮れなくなった・・・。


    2011年の暴排条例全国施行以降、暴力団の存在を認めるような映画が作られなくなったのはもちろん、映画だけでなく、本来、興行通じて近い関係にある芸能界全体が、暴力団関係者との接触を禁じられた。そのため高倉も菅原も、やくざ映画のスターであったことは控え目に語られ、追悼番組でそれらの作品が放映されることは少なかった。


    しかし、2人が、多くのやくざ映画を生み出したことは、残された作品とともに、忘れてはならない事実なのである。そして、それらの作品から「昭和」という時代が、もはや過去のものであるということを思い知らされるのである。

     

    昭和という時代を彩った名優の二人だが、大スターとは思えないほど最期はひっそりと逝った。

     

    今年もあと少し、改めて「2014年の二人の名優の訃報」を振り返り、そのご活躍をしのびたい。

     

     

     

  • 2014/11/22 なんでこんなにハワイが好きなんだろう

     

    11月11日火曜日 現地時間 午前8時20分、

    『We are making our final approach to Honolulu International Airport.』

    ホノルル国際空港へ到着のアナウンスが流れると、ボーイング767の翼は大きく旋回し始めた。

     

    窓の外には群青色の海、そして茶褐色の大地と雲をたたえた緑の山々の姿が見えてくる。窓越しに眼下を見ているとマハカ周辺が大きな火口を感じさせる景色であることや、パールシティの遥か先に雄大な裾野が広がっているのがよくわかる。かつてこの島が火山活動によって形成されたことに気づかされる瞬間だ。
     

    そう、ハワイの島々は火山によって生まれた絶海の孤島。大陸と隔絶された場所であるがゆえに、ここにはユニークな自然の姿がある。
    驚くのは花や木々の平和的な姿。各島だけの固有種も数多い。草木を餌とする四足の草食動物がいなかったために、身を守るための毒やトゲ、匂いを失ったものが多いらしい。溶岩だけの大地に、風や波そして鳥によって運ばれてきた植物が、長い時間をかけて独自の進化を遂げてきたのだ。

     

    ハワイの街を歩いていると、ハワイの自然がいかにこの地の象徴として使われているかがよくわかる。レイやアロハシャツ、手の込んだハワイアンキルト、あるいはフラダンサーの装飾品。そこには必ずといっていいほどハワイの花や植物がちりばめられている。
    残念なことに人の往来が激しくなったここ数百年で外来種が台頭し、その自然の本来の姿は希少となってしまったが、人々の手によってその姿が今もしっかりと守られている。

     

     
    ダイヤモンドヘッドから見たワイキキ   ハワイシアター前にて記念撮影

     

    そんなハワイは、やっぱり自然の宝庫。多様な環境を懐に抱く、自然の恵み豊かな場所だ。この地で生まれた食やプロダクツの数々は、いま再び全米や世界、そしてここニッポンでも注目されている。
    オンエアされる『ハワイに恋して(BS12 TwellV)』、『Hawaii×Hawaii(BS朝日)』、『木梨目線!憲sunのHAWAII(BSフジ)』などのハワイ情報番組は、夫婦で常にチェック。その甲斐もあって今回も夫婦ふたり、充実した旅を過ごすことができた。

     

     
    宿泊したトランプインターナショナル   結構揺れた「マイタイ・カタマラン」

    ハワイは海や山のアクティビティが充実しているのはもちろん、ショッピングやダイニングも楽しめる南の楽園だ。観光ガイドに載っていない新しいハワイを肌で感じるのも、この楽園をさらに深く楽しむきっかけになるかもしれない。そう、ハワイには私たちが知らない世界が、まだまだ無限に広がっている。

     

    一般の観光ルートに沿った“リゾートハワイ”はもちろん魅力的だが、この島を一歩奥に踏み入れていくと、そこには南太平洋の歴史と文化が息づいた“リアルハワイ”が隠れている。
    また、観光地として有名な島であるけれど、ここには普通の人々の生活もある。今回はそんなハワイの本当の姿をちょっと垣間見た気がした。

     

     
    ハウツリーラナイのエッグベネディクト   美しいワイキキのサンセット

     

    ハワイで楽しく過ごすコツは、とにかく心をオープンにしていること。そうすれば、今の自分に合う一番やさしい時間を過ごすことができるはず。
    いつ見ても素晴らしいサンセット。その美しさはハワイが自然とともにあることを教えてくれる。
    何度訪れても、時を経て共に旅をする人が変わっても、ここは変わらず私を迎えてくれて、常に新しさを教えてくれる。そして、私自身が旅の中でリフレッシュしながら気持ちをリセットし、新しいインスピレーションとの出会いを楽しめる気がする。

     

     

    でも、なんでこんなにハワイが好きなんだろう…?

     

     

     

  • 2014/11/18 ハイブリッドな生活

     

    「ふだんはじっと節約、ときどきパッと贅沢」


    人々のお金の使い方にちょっとした変化が表れてきた。長引く不況に耐えてはきたが、節約疲れから、時にはプチ贅沢をしたり、次世代商品など自分にとって価値ある物にはドンと出費したり・・・。こんな「節約+贅沢」のダブル生活がハイブリッド・ライフと呼ばれている。


    今の消費者には若い世代を軸に見ると本業、家事、余暇などをそつなくこなす、メリハリのある生活ぶりがうかがえる。一点集中型は少ない。『お金がない』と言いながら、小ぎれいな格好もしている。それに、時間の使い方もハイブリッドな人が多い。幅広い世代でも同じことが言えるのではないだろうか。きっとニッポンの社会が成熟したからなのだろう。


    「‘ハイブリッド’という雑種強勢によって生まれた現代社会」


    Wikipediaでは、交雑種( Hybrid )または雑種。生物学においては、異なった種の動物・植物を特に人工的に組み合わせてできた新種のことを表す言葉で、英語では昔からよく使われてきたらしい。ニッポンでは古くから生育された猪(いのしし)と雌豚の掛け合わせの「猪豚(いのぶた)」はハイブリッドと呼べるもの。近年ではレオポンなどもその類である。
    一般的にハイブリッドは、エコカーの代名詞として使われている。ハイブリッド車(HV)は1997年、ニッポンのトヨタが世界初だ。


    「ニッポン人は、昔から混ぜたりくっつけたりするのが大好き」


    複数の目的がひとつになったような、異種のものが合わさって生まれる際立った個性。面倒くさがりで合理的な国民性だからこそ、思いつくアイデア。イチゴ大福とかオムバーグとかも・・・、きっとニッポン人は欲張りなんだと思う。


    そして、カツカレーはニッポン人の生み出した最高のハイブリッドなメニューのひとつ。


    ニッポン人は昔から天ぷらそばや味噌汁ぶっかけ猫マンマなど、ふたつのメニューを組み合わせることで新しいおいしさを生んできた。ハイブリッドに対して天才的な国民性だと思うけど、カツカレーほどポヒュラ-でリーズナブルでファンタスティックでアメイジング、高カロリーでメタボリックなメニューはなかなか無いのではないだろうか。

            
    好きなものと好きなものを一緒に。足し算が掛け算になって、優れものに転じる。これこそが‘ハイブリッド’と呼べるものかもしれない。

     

     

     

  • 2014/10/17 自分の身は自分で守れ!

     

    空に向かって激しく噴きあがった煙が、巨大な固まりとなって登山者に迫ってくる。9月27日に登山客でにぎわう御嶽山の山頂付近が噴火してから、ニュース番組で同じ映像を何回も見た。残念ながら今回の噴火で多くの人が犠牲になった。しかも、8月に広島で起きた土砂災害に続いて、また自然による大規模災害だ。

     

    悲劇はなぜ繰り返されるのだろう。確かに今の時代、何があってもおかしくない。だか、これまで私たちは自然からいったい何を学んだのだ。3.11によって私たちが学んだのは、想定外の自然災害が起こりうるということではなかったのか・・・。

     

    その戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火で、長野県の対策本部は、残る行方不明者の大規模な捜索を、昨日で打ち切ることを決めた。積雪や凍結など捜索環境が悪化し、救助隊員の二次災害の危険性が高まっているため苦渋の決断だ。捜索再開は早くても来春になる見通しで、関係者は複雑な思いでそれを受け入れた。

     

    今回の惨事は、ニッポンが火山列島であるという現実を、改めて突きつけられた気がする。火山噴火だけに限らずこの国は地震,津波,集中豪雨なども多い。さらに台風,竜巻、雷など、様々な自然災害がいつでも私たちを待ち受けている。
    自然の脅威にさらされている私たちニッポン人は、今後何よりも謙虚に自然と向きあっていくしかない。

     

    しかし、冷静になって思うに、私たちは自然災害に対して、以前のように驚かなくなった。現代社会では、それが特別な驚きではなくなってしまった。

     

    結局、災害が起きるたびに、社会全体で悲しみを受け止め、記憶し、自然の脅威やリスクと共存せざるを得ないことを私たちは学んだ。自然は突然、避けられない死をもたらすことがあるという事実を共有することしかできないということを・・・。

     

    自然に対して私たちは、なんて無知でちっぽけな存在なのだろう。

     

    だからこそ、自然に対して“畏れ”の意識を持たなければならない。でも、何が起ころうが、絶対にあきらめてはいけない。今後は、自ら命を守る備えへの強化が是が非でも必要となるだろう。

     

    それは「自分の身は自分で守る」ということだ。肝に銘じたい。

     

     

     

    あとがき

     

    御嶽山噴火災害でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上ますとともに、ご遺族の皆さまに謹んでお悔やみを申し上げます。また、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます

     

     

     

  • 2014/10/07 カワイイだけじゃないカープ女子効果!

     

    着ている服によって女性の可愛さが増す、という現象は確実に存在する。
    リクルートスーツは1割増し、浴衣は3割増し、ウエディングドレスは5割増し、・・・。この辺なら異論も少ないと思うが、野球のユニフォームもなかなかどうして悪くない。

     

    今や首都圏を中心に注目される「カープ女子」と呼ばれる女性カープファン。どこの球場に行っても真っ赤なカープファンで埋め尽くされ「赤い旋風」と呼ばれる社会現象にもなっている。

     

    でも、なんで関東で増殖中!? カープ萌え女子! いったいどうしたと云うんだろう。

     

    負けじと横浜DeNAの女性ファンは「ハマっ娘」、オリックスは「オリ姫(ひめ)」で福岡ソフトバンクは「タカガール」。きっかけは人それぞれだが、野球に興味をもってくれる人が増えるのは良い事。とにかくファンが増えるなら、と野球ファンも歓迎している様子。

     

    カープ女子の姿勢は、たしかにブーム的ではある。現状、こうしたカープ女子の多くはライトユーザーであり、現在もブームと呼べる域からは脱していない。

     

    広島カープは12球団で唯一親会社を持たない独立採算球団。選手補強にかける資金には限りがある。マネーゲームになれば資金力のある球団には太刀打ちできない。ドラフト、外国人選手、トレード。あとは育てる。それしかない。こうなったらファンも「育てちゃえ!」ってとこか。

     

    カープ女子たちを見ていると、時代の真ん中にいる実感を味わっているような錯覚があるのだろうか、若い世代から漂う時代の勢いがうらやましく思う。

     

    女性のファッションや流行が集う街は、時代の空気を鮮やかに映し出す。女性絡みの社会現象は現代史そのものであり、今を語る最もポップで鋭角な視座を備えている。そのことに改めて気づかされた。いやはや大変なパワーだ。

     

    今年のペナントレースも昨日で全日程を終了。最終戦に負けて残念ながらカープは3位。しかしこれから始まるクライマックスシリーズに期待したい。

     

     

    でも、あっさり負ける前にコラム書いとこっ・・・(笑)

     

     

     

  • 2014/09/13 天災は忘れた頃にやってくる

     

    8月20日未明に広島市で起きた土砂災害では、多くの犠牲者が出た。15年前にも32人が犠牲になる豪雨があったのに、その教訓が生かされなかったことは残念だ。

     

    発生して3週間、一歩一歩確実に復旧している。だが、多くの被災者が避難生活を余儀なくされている。そして、いまだ不明の方が・・・。なんともやりきれない複雑な思い。土砂の撤去などが進む一方で、被災者は今なお不安と隣り合わせの状態が続いている。

     

    倒壊した建物、がれきの山、あたりを埋め尽くす大量の土砂、寸断された道路、そして充満した生臭い匂い。発生当時一体、なにが起きたのかわからなかった。そして、今も分からない事が多すぎる。

     

    あまりにも多くの要因が重なり合い、誰も全体像を理解することができない。ほとんどの人が、その途方のなさを前に言葉を失ってしまった。その失語症的状況の中で、せめてもの救いは、ここ一番の時に助け合う「絆」の広がりだろう。後片付けに大勢のボランティアが駆けつけた。学生もいれば、社会人から主婦まで、遥々東北からも。これが3.11後のニッポン人の姿だ。

     

    しかし、その一方で街や建物は復旧できても、被災者の心の中には復旧しきれないものが残ることを知る。
    生活を脅かす自然の脅威に、被災者からは「雨が降るたび思い出してしまう」と深いため息が漏れた。「思い出すな」と、云うほうが無理だろう。


    「天災は忘れた頃にやってくる」は、物理学者で文学者の寺田寅彦のことばといわれるが、現在、私たちのまわりでは、自然災害のリスクが高まっている。3.11を境に、ニッポン人の目の前に広がる世界は大きく変わってしまった。

     

    それでも私たちは、自然に対して無力さを感じることに負けてはいけない。

     

     

     

  • 2014/08/15 あの時代を生きてない者も・・・

     

    今日は、2014年8月15日の終戦記念日。戦後と云われて69年が過ぎた。

     

    当時を生き延びた少年少女たちは、今80歳を超えている。あの悲劇を体験した人の多くは、意外にもそのことを語りたがらない。語るとしても、そこには必ず重い沈黙がはさまり、これだけは伝えておかなければならないのだという、冷静な迫力がこもっている。

     

    あまりに悲惨な体験だった・・・。

     

    わかってもらえないという無力感もあるのかもしれない。絶対的に、戦争を知る者の視点と知らない者の視点は違うのだろう。

     

    しかし、先の大戦のことを“戦争”だと思っていたが、どうやら考えを改める必要があると思う。
    それは、現代社会を生きる我々も、見方を変えればある意味“戦争”を体験している、と云えるのではないか。9.11のようなテロや震災後の原発事故も、本質的には、現在起きつつある変容した戦争の一つの形かもしれないのだ。

     

    2001年の米同時多発テロ以降、世界中で日常化する戦争への懸念。そして、原発の問題は東日本大震災後、一挙に現実化した。これら核の問題は、広島・長崎を考える上でも切り離せない。

     

    自衛隊の海外派遣や集団的自衛権の問題、街中に目立つ「テロ警戒中」などの不安をあおる看板によって、戦争が出来る社会や体制の構築が進んだようにも感じる。それをどう阻止していくのかという危機意識も、今後を生きる私たちの大切な出発点。

     

    リアルな戦争は国家主権の発動による有無を言わせぬ破壊と殺し合い。その本質、戦争の真相は、確かに生きた言葉でしか伝えられない。それは間違いなくニッポンが通過し、残してきた矛盾や悲しみを多く含んでいるが、目を背けることのできない重い記憶だ。より心して耳を傾けなければいけない。

     

    月日は刻々と過ぎていき、やがて、聞きたくても聞けなくなる時代が容赦なく来るのだ。

     

    これからは、あの時代を生きてない者も、現代社会の危機意識に照らし合わせて、戦争のおぞましさを語り継いでいかなければ、ニッポンの将来は危ういと思う。忘れず、学び直すことが、平和の礎となるに違いない。

     

     

     

  • 2014/07/22 世紀の号泣会見

     


    自分の理屈が通らないと、机をたたき、駄々をこねて泣き叫ぶ・・・。小学生の頃を思い出しても、こういう子供は私の周りにも確かにいた。だが、47歳の大人がそれをやったら、もはやギャグと同じだ。N県議の号泣会見に、日本中が騒然としている。いや、唖然としていると言ったほうがいいかもしれない。

     

    世紀の“号泣会見”で一躍全国区の有名人となった兵庫県議会議員のN氏。7月1日に行われた3時間にも及ぶ釈明会見で彼は、我々国民の度肝を抜いた。

     

    「‘平常心’で質問してください。」と、報道陣に懇願したはずが、時間が経つにつれて自らの平常心が保てなくなったのだ。そして・・・、

     

    「高齢者問題はぁ!わが県のみぁあああ!わが県のみんはああ!わが県のみならずぅ!西宮、ニッポン人の、問題じゃぁないですかぁああ!
    誰がでぇ、誰が、誰に投票じでも、おんなじや、おんなじや思でえ!ぐぅわぁぁぁぁぁ・・・」

     

    およそ議員とは思えない、子供のように泣きわめく姿は、ニッポンのみならず世界中のメディアでも大々的に報じられた。

     

    「平常心をもって・・・」って最初に振っといて、逆に自分からボロボロになっていく。“振って落とす”っていうお笑いの基本ができている。ひょっとして、吉本興業が放ってはおかないかもしれない。
    だが、爆笑ものの会見を行ったN県議だが、550万人の兵庫県民からすれば、笑って済ませられる話ではない。
    会見後も新たな疑惑が次々と噴出している。もはや疑惑のオンパレード。

     

    だが、あの世紀の号泣会見を見て、今どきの小学生がどう思っただろう。
    N氏の今後より、正直こっちのほうが気になる。

     

     

     

  • 2014/06/28 惨敗・・・、でもこれが現実

     


    「ニッポンサッカーの未来は明るい!」


    そう思えるようなニュースが今、私たちには絶対的に足らない・・・。


    サッカーのワールドカップ(W杯)のブラジル大会が開幕してから、今までにないほど厳しい現実が伝わってくる日々。5大会連続5度目の出場を果たし、自信を持って臨んだニッポン。肝心のコートジボワールとの初戦で敗れ、あっけなく黒星スタート。ギリシャとの第二戦も攻め込みながらのドロー。そして、絶対に負けられないコロンビアとの第三戦。激闘の末の完敗。期待と自信を持って世界へ挑んだニッポンのW杯は、一勝もできずに早々と幕を閉じた。


    大一番でのニッポンサッカーと世界との差。試合後の選手たちの落胆ぶりからも、その危機感が伝わってくる。
    確かに世界との差は、歴然としている。真正面から世界に立ち向かってはみたものの、実力差を見せつけられ、打ちのめされた。これが現実で受け入れるしかない。

     

    どんなに努力しても、結果が出ないことのほうが多い・・・。


    けれど、ニッポンが初めてW杯に出場(1998年のフランス大会)して以来、ニッポン中で確実に、サッカーに対する熱い声援が増えたじゃないか。
    あのフランス大会の第3戦(ジャマイカ戦)で中山雅史選手が決めたゴールが、ニッポン代表の歴史的W杯初ゴール。ニッポン代表選手たちの姿が伝えられるたび、私たちはどれだけ勇気づけられたことだろう。そして、前回大会(2010年の南アフリカ大会)では初のベスト16の躍進に、日本中が熱狂したはずだ。


    苦しさの中でも日の丸を背負って世界と懸命に戦ってきた歴代のニッポン代表選手たちの志。今回も夢を共にするニッポン人ひとりひとりの思いを胸に戦ってくれたと思う。
    1次リーク敗退が決まった今こそ温まる応援が彼らの力になるはずだ。


    確かにまたまだ足りないものがある。ニッポンの日常生活の中にサッカーが入り込んでいない。根付いていないのだ。
    ニッポン代表こそ人気があるが、それ以外はどうだろう。サッカーは世界一のスポーツであって、その中でも特に強豪国と呼ばれる国々は、サッカーそのものが文化として根付いているという。サッカーと社会との関わりが深く、人々の生活とサッカーが近い距離にある。だからこそサッカーが文化として成立していったのだろう。ニッポンではあり得ないことだ。


    強豪国では選手が成長するのは大前提で、W杯の時だけではなく日頃から、自国の選手やサッカー全体を厳しい目で見ている。そうやってサッカーが文化として作り上げられていくのだと思う。もちろん報道するメディアの役割も重要だ。


    今回のW杯でニッポンは惨敗した・・・、これが現実で、まだまだサッカーにおいてニッポンは後進国であることを、改めて証明した格好となった。でもこれこそが、今回のブラジルW杯に出場した意味だろう。


    さあ、4年後のロシア大会に向けてもう一度出直そう。

     

     

     

  • 2014/05/24 悲しい生き物

     

    韓国で起こった死者・行方不明者300人以上を出した旅客船「セウォル号」沈没事故は、ひと月経って徐々にその詳細が明らかになってきた・・・。

     

    はたしてどれだけ多くの人が、冷たく暗い海に取り残されて命を失ったのだろう。そして、どれだけ多くの人が愛する人の喪失に心を痛めたであろう。その悲痛は、これから先どんなに年月を経ても癒されることはない。

     

    愛する人の死は、誰でも経験することだろう。だが最愛の人を亡くした時に、何を思い、どう生きるか。人は常にそれを問われ続けている気がする。

     

    深い悲しみを共有出来た時、我々は命の意味を思い知る。

     

    会えなくなって苦しい、つらい。誰でもそうした感情が消化できずに、絶望と悲しみがあふれ出るもの。そして、目に映るすべてが色あせ、生きる希望すら失くしていく。

     

    悲嘆や絶望、失意の底でもがく家族が、切迫感の中で自己を見つめ、同じ境遇の遺族と出合い、命の意味に気づいていく様は、あまりにも残酷だ。

     

    携帯に残された娘の「助けて!」の言葉が消せない・・・、と号泣する母親の苦悩は誰も肩代わりできない。言葉は役に立たない。その無力感を引き受け、謙虚に寄り添う同じ境遇の遺族がいて初めて、止まっていた母の時間が動き出し、生き続ける大切な記憶とともに新たな人生の物語が紡ぎ出されていくのだ。

     

    愛する人の死は決して悲しい、つらい、苦しいだけではない。さまざまな意味合いが微妙に混ざり合う。そこにあるのは、なぐさめ、励まし、癒し、などの要素も含まれる。だからこそ私たちは生きる活力を取り戻して行けるのだ。

     

    悲しみこそ真の人生の始まり。

     

    だが、人間とはつくづく悲しい生き物だと思う・・・。

     

     

     

    あとがき

           このたびの事故により、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
     

     

     

  • 2014/04/26 痛みに学ぶ人の心

     

    うっかりタンスの角に足の小指をぶつけたとする。それは大の男でも涙目になる激痛。私なら諦めてただ痛みが消えるのを待つだろう。だが、科学者は違う。そこで自問自答するのだ。
    「人はなぜ痛みを感じるのか。そもそも痛みとは何なのか」と・・・。

     

    さらにその痛みを共感してほしいと願う。この痛みを分かってほしいという気持ち。だが一方で簡単にわかるはずがない、いや、わかられても空々しいと感じる。だったら「わからない」と言われた方がましだ。そんな逆説的共感に陥るのも科学者ではないだろうか。


    さて、世界的科学誌『ネイチャー』に掲載されたSTAP細胞の論文に不自然な点が見つかってから、一切メディアに姿を見せていなかった理化学研究所(理研)のОさん。
    ついこの間まで、「リケジョ(理系女子)の星」と一躍時の人となった彼女だが、そんな自分を神輿(みこし)に担ぎあげた組織(理研)は、いまや全面対決の敵となってしまった。

     

    強い心の痛みを抱え、引きこもり生活を続けてきた彼女が意を決してついにメディアの前に。“敵地”に乗り込む姿を逃すまいと、報道は過熱した。会見中の虚ろなその目からは疲労困憊の現状がうかがえ、なんとも痛々しい。たが、彼女が弁護団を従えた、そのいで立ちには、「私は絶対負けない!」という彼女の並々ならぬ決意があふれていた。

     

    だが、一番真実に肉薄できる位置にいながら、手を伸ばせば伸ばすほど真実は彼女から遠のいてしまっている感じがする。その真実との距離感は途方もなく伸び、ついに真相は、遥か彼方にかすんでしまったかのようだ。彼女の決意とは裏腹に、迫れば迫るほど遠ざかっていく真相。

    はたして「ねつ造」「改ざん」の責任は、Оさんひとりだけにあるのか?

    ついにゴングが鳴った第2ラウンドの行方はいかに・・・。


    しかし、「なぜ」だとか「どうして」だとか、そんなことを彼女に求めたところで、それは結局、「入れ子細工」のように、真実にはたどり着けないものなのだろう。やがて世間と彼女との距離感も、うやむやになっていくに違いない。それは同時に真実も過去のものとして、扱われることを意味する。

     

    この一件が彼女の人生を大きく変えるターニングポイント(曲がり角)となった。彼女にとっては、なんとも痛い現実である。

     

    痛みとは体を守るための警告信号であり、人は幼いころから痛みを通じてどういう行動が危険かを学ぶという。つまりタンスの角が柔らかいと人は何も学べなくなるのだ(すみません、タンスの話に戻りました・・・)。タンスの角は硬いものなのだ(笑)。

     

    今の彼女は、「君の痛みはわかる」などと共感されたら、ちょっと違和感を感じるかもしれない。
    逆に「お前の痛みなんかわかるか!」と突き放されたらどうだろう。それはそれでたぶん角が立つだろう。つまりタンス以外にも人には学ぶべき、さまざまな角があるのだ(笑)。

     

    人は心の痛みを癒すために、その痛みを意味づけて物語化する。「なぜ痛みを抱えてしまうのか」という問いに対して「以前、こんな経験があったから」といった物語を描く。

    「科学者としてSTAP細胞は証明できなかったけど“痛みに学ぶ人の心”は証明できた。それは必要な痛みだったのだ。もし君がSTAP細胞の研究を選ばなかったら、きっと生きる実感に欠ける人生だったはずだ。だとしたら、この挫折は君にとって悪くない。」

     

    そう意味づけることで少しは軽くなる痛みもあるんだよ、Оさん!
     

     

     

  • 2014/04/02 消費税狂想曲

     

    今月1日より消費税が8%に上がった。この春のニッポン経済の話題と言ったら、やっぱりこの消費税増税。

    増税前の最後の週末には、駅の定期券売場にすごい行列ができていて、ビックリした人も多いはず。


    家電量販店や百貨店などで高額品のほか、生活必需品でも税率5%で買いだめしようとする買い物客でごった返して、その模様はメディアでも多く取り上げられた。

     

    「節約、倹約」なんていう”美徳“は目先の損得勘定の中で、その精神の欠片も消されてしまうのか・・・。

     

    また、取り扱い量の急増や引っ越しシーズン、年度末が重なってトラック不足など、物流業界の混乱も話題となった。予想をはるかに超える物量に対応できなかった宅配便の遅れは、ネットショッピングが今や当たり前となった一面を表しているとも言える。

     

    1989年(平成元年)4月から3%で実施されたニッポンの消費税。1997年(平成9年)4月に5%に引き上げられて以来、今回は17年ぶりの増税。1997年当時とは状況も違い、その影響は限定的との見方が多い。

     

    駆け込み需要がピークを迎えた先月から一転、今月以降の販売の落ち込みをカバーしようと各業界ごとに様々な対策が取られているが、反動減の影響や一方で価格転嫁を巡って、どのような影響が表れてくるのか注目したい。

     

    ちなみに我が家では、缶ビールを1ケース買いましたが、それくらいです。

     

     

     

  • 2014/03/11 かすむ復興の理念

     


    2011年3月11日の東日本大震災以降、大きな変化を遂げようとするニッポン社会。私たちはどう生きるべきなのか。端的に言えば、どう生きるのが楽しいのか・・・。

     

    「被災地」の復興を通じて、ニッポンが再生される。決して、単なる復旧なんかじゃない正真正銘の再生。だが、東日本大震災の直後に共有されたはずのこんな理念は、今、急速に色あせてる気がする・・・。

     

    犠牲者への追悼の気持ちも人々から薄らぎ、原発事故という「国家の一大事」は五輪誘致などで巧妙に隠されているように感じる。

     

    あれから3年、広島に暮らす私は、ニッポン経済が回復に向かって動きだし、原発再稼働や原発廃止を含めた新しい政治の流れが作られていく中、「被災地」の現実を共有し切れないやるせなさに、くじけそうになる。テレビで見たり、新聞で読む「被災地」は、もどかしいほど遠く、残酷なまでに間接的になっていく・・・。

     

    復旧をなかなか再生へと超えて行けなかった理由は、国も自治体も新たな発想を示せなかったことと、それを民間企業が引き受けることができなかったからではないだろうか。
    大勢の人々が携わっていることはよくわかる。一生懸命復興に努力し汗をかいている。
    だが、官側の主導で進めるだけでは、どうしても「元通りにする」という基本から抜け出せない。

     

    政治家を批判するのでも、政局を論ずるのでもない。だが、ひたすら「被災地」というひとくくりの表現の底に沈む、生身の人間の悲しみや怒り、喪失感が薄らいでいくのがもどかしい。
    何だか自分の生き方をまるごと問われているような気分に陥る。

     

    遠く離れた「被災地」から聞こえてくる声に、今一度静かに耳を傾けてみる必要があるのではないだろうか。それは震災によって傷ついた「被災地」という枠さえ超えた新たなニッポン人の声なのだから。

     

    はっきり言えることは、「震災は何ひとつ過去になどなっていない」ということだ。

     

     

     

  • 2014/02/24 冬季オリンピックを終えて

     

     


     

    ロシアのソチで行われた2014冬季オリンピックも無事終了した。開幕からなかなかメダル取れなかったニッポン選手団。だが中盤を超えて、ためていたパワーが一気に爆発した。表彰式会場に揚がる日の丸がこんなにも誇らしいとは・・・。

     

    選手たちは皆、試合前に大きな重圧と向き合う。期待に応えてメダルを手にした選手、思うような結果が得られなかった選手、そこには間違いなく壮絶なドラマが生まれる。敗者のすごさが伝わって初めて勝者の偉業が輪郭を持つ。血のにじむような努力をしたのに本番では明暗が分かれてしまうところに共感とドラマを感じ、インタビューで語られた言葉が、その選手と競技の魅力を際立たせる。

     

    今回は、なんといってもフィギアスケートの浅田真央選手。なんだか胸が締め付けられる思いだった。正直なところ、見てられないのでチャンネルを変えようかと・・・。メダルには届かなかったけど、彼女の思いはニッポン、いや世界中に届いたはずだ。

     

    それにしても、冬季オリンピックの競技のわかりにくいこと。いまいちルールがわかりにくいものから、得点方法のわかりにくいものまで・・・。おそらく私と同じような感想をお持ちの方も多いと思う。

     

    結局採点方法がよくわからないのがネックだ。タイムを競う競技やはっきりした得点を奪う競技ならまだしも、フィギアスケートや、スノーボード、スキーフリースタイルなどは審判員の判定による採点方法。フィギアスケートのジャンプの良し悪しは転ばなければ高得点かと思えばそうでもない・・・。採点方式の限界を指摘した専門家も多い。
    それにボブスレー、リュージュ、カーリング、バイアスロン・・・。なんとなく理解しているものの細部に至ってはイマイチよくわからない・・・。
    来月7日からパラリンピックも始まる。それまでに少しルールについて勉強しておこう。

     

    そして、その次はいよいよサッカー・ワールドカップ。相手より点をたくさん取った方が勝ち。

     

    これならわかりやすいですねぇ。
     

     

     

     

     

  • 2014/02/03 音楽を聴く場所

     

     

    あなたが音楽を最もよく聞く場所はどこ?


    自宅のキッチン、通勤電車の中、ジョギング中、寝る時、お風呂、・・・。
    もしかしたら「車の中」という答えが返ってくるかもしれない。

     

    私のように車で通勤してる者には、お気に入りの音楽をかけることで、リラックスして運転できる。心地よい曲をBGMにゆったりとした気持ちで運転でき、疲れを意識しないで済むのだ。 

    通勤での「車の中」は、音楽鑑賞に最適なプライベート空間。最高のコンサートホールであり、窓の外の景色は時に格好のプロモーションビデオにも成り得る。ドライブを演出する小道具として、音楽は絶対欠かせない。
     

    車の中の環境も様変わりし、最近ではiPodやMP3プレーヤー、iPhoneやスマートフォンに取り込んだ音楽をBluetooth接続やUSB接続をして聞くのが主流のようで、USB端子が設置されていたり、カーナビにBluetoothやiPodケーブルがオプション等で用意されていたりする事からも、ここ数年で劇的に変化を遂げている音楽メディアの現状が伺える。

     

    音楽は人間の最も根源的な欲求のひとつだ。だから、これからもなくなることはない。
    さらに、モバイルでウェブにアクセスできるようになったおかげで、音楽の可能性は無限に広がった。

    音楽ファンはいつでも好きな時に好きな曲にアクセスできるので、今や音楽は私たちが呼吸する空気の中に存在している。タブレット端末やスマホのおかげで、より身近になったのだ。

     

    そして、他人の干渉を受けない神聖な場所。誰にも邪魔されずに聴ける安息の地。それが「車の中」。間違いなく車の中は、音楽を楽しむ最高のシチュエーションのひとつなのだ。

     

    だから、ついつい音量が大きめになるのも無理はない。

    でも大音量って、危険だと思うので、安全運転のため、くれぐれも音量はひかえめに!

     

     

     

  • 2014/01/07 食品偽装を招いたニッポン人のおごり

     

    ことの中身は様々であるが、ここのところ企業の不祥事が世間を騒がせるニュースが多い。
    有名ホテルに端を発したメニュー誤表示問題が、底が抜けたかのように全国の一流ホテルや有名百貨店などへと広がってしまったのも記憶に新しい。
    まさかここまでとは・・・もはや唖然とするばかりだ。

     

    そこには「調理すればわからない」「それらしい名前で客は飛びつく」という作り手のおごりが透けて見える。「多少ごまかしても誰も気づかない」といった意識が業界内で広がっているのかと疑いたくもなる。

     

    消費者や客を裏切った行為はとうてい許されるものではない。しかし一方で、そういった行為を生む土壌を、私たちの側でも作り出していたのではないか。
    今回の一連の事件は、“食の安全”を守っていくうえで、消費者が何を頼りに、どう考えるか。極めて重要な課題を提起している。

     

    作る側の「どうせわからない」という認識と、食べる側の“安全”を表示まかせにした結果が招いた騒動。

     

    「偽装ではなく誤表示」「認識不足」これまでの弁明会見でよく聞かれた言葉である。悪意のないことをアピールしようと、きゅうきゅうとしているように映る。記者会見を見て納得した消費者がどれだけいただろう・・・。判で押したような言い訳に誠意のなさが透ける。そもそも顔を突き合わせてもいない相手になぜ謝れる。彼らにとって消費者とは実体のない、記号みたいな存在に過ぎないのかもしれない。決して誰かの顔や名前を思い浮かべているわけではないはずた。

    「うちだけじゃない!ほかでもやってるはずだ!」と、当該企業の本音が聞こえてきそうだが・・・。

    消費者の信頼を取り戻すことは容易ではないだろう。

     

    日本が誇る「食の安全」をも揺るがしかねない事態は、業界の認識の甘さがもたらした。ともあれ、食材偽装は『今日もニッポンは平和だ』と実感できるニュースだし、この手の話は今後もなくならないだろう。

    大切なのは、事故や不祥事を起こした大きな反省から、再発防止に向けた意識改革、経営環境作りにどれだけ本気で取り組むかにかかっている。

    問題が起きた時にただ「けしからん!」となるのではなく、消費者も含めた社会全体が問題の本質について考えるきっかけの年に、今年はなってもらいたい。